嬉しいな
正月に日本に帰省したら、「考古××会発足のお知らせ」が届いていた。発起人には院で知った顔のおっさん達(今はおっさんだが、当時はちょっと先輩。)の名前が連なっている。あらま、懐かしいわねえと思い、ついでに返信葉書もついていたので、近況欄に連載の事を書いて送っておいた。
そうしたら、私の連載を見てくれたみたいで、院の先輩かと思われる人からコメントの記入があって、たいへん嬉しく思った。彼の本名より一字足りない名前になっているが、地名が同じだし、彼が書きそうなことが書いてあったので、多分間違えはないと思う。それはたいへん嬉しい事である。(まあ、勘違いかも知れないが、幸せなので、ほおっておいてくれ!)
院は外様だったし、なにせ考古研究室なので合宿を重ねてきた仲間意識の強いのが学部あがりの人達だったので、私は当時、強く外様を意識せずにはいられなかった。例えばだ、すごくくだらないことだが、発掘事務所に行くのに、若くて可愛い学部生はサーフに乗せてもらえたが、私は乗せてもらえなかったなど、くだらない思いがあったし、修了後担当教官が亡くなった時にお知らせが来なかったりした。(笑)
しかし、こうしてコテコテ考古の彼からコメントを書いてもらえると、仲間として認めてもらえたのかなあと思える。専門とは違う分野に行ってしまったが、だからといって世間から埋もれてしまったわけでないという、自分のプライドも再確認できる。
こういった変なプライドというのは、客観的に見たらどろどろしているし、詰らんことだが、そういう詰らん意地があるのが自分なのだから、仕方がない。外様で何となく冷遇されたことを当時は嫌だと思っていたが、今更そう思っても仕方がないし、「ふん!」と思ったからこそ、出来たこともあるので、まあ、いい学生時代だったんだろうと、今は思っている。そういう意味で同窓会がしっかりしている吾が母校はなかなかのものだと思うのである。
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