知らぬが花~和諧社会
当方の連載にコメントを頂いた。
「病院の門は大きく開いている。だけどお金がないから入れない」なる狂歌が中国では流行っているとか。そして入院できても安心はできない。払いが滞れば病院は患者を路上に捨てに行き、貧困の父は白血病の娘を病院に置いて行く(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2006&d=1126&f=column_1126_003.shtml)。簡単に借金できない事情は理解するが、こんなことがまかり通る社会が本当に「人間関係が密接」なのか?
だってさ。中国について興味を持つのはよいことだが、現状をご存知ないのかしらんと思う。
それに「じゃあ、日本では誰かが重病になったときに、職場でカンパしたり、親戚が全財産をつぎ込むことが普通なのか?」と問われれば、この方はどう答えるのであろう?
「払いが滞れば病院は患者を路上に捨てに行き、貧困の父は白血病の娘を病院に置いて行く」って事は事実だし、私も目にしている。それこそが「貧しさ」だし、貧しいというのは嫌な事だと思う。
日本だったら国や国保がなんとかしてくれるのだろうが、中国では病院は独立採算を求められているから、お金を払わない患者をおいておくことが出来ない。病院の従業員だって生活があるわけで、可哀想だからといって無料で治療して、従業員の給与が払えなくなったら、従業員は出て行かざるを得ないわけで、病院自体が存続しない。だから治療費が尽きた患者には、病院は何もできないし、患者は家に帰って死の時を待つのだ。
都会の労働者だったら職場のカンパでどうにかなる部分があるし、タクシーの運転手や同じ病棟の人達からこういう話をいくつも聞いた。ただ地方の農民となるとカンパにも限度があるのだ。年収が2千元以下の農民も多いし、こういった農民の親戚や友人だってそのレベルの収入であろう。白血病の治療は入院が必要だから、入院の場合、最低でも月に2千元かかり、それが最低でも1年続くわけだ。どんなに頑張ったって限度がある。だから貧困の父が白血病の子供を病院に置いていくのは、私から見て正しい選択なのである。つまり自分ではどうしようもないから、運を他人に託すのである。病院で子供を見かけた人が何とかしてくれる可能性だってあるのである。たまにであるが、新聞にその悲惨な運命が取り上げられて、新聞の読者から募金が寄せられることがある。
中国のこういった悲惨な現状を批判するのは簡単だが、じゃあ、いい解決策があるんだろうか? 私はそれを問いたい。もっと日本がODAすればいいわけ? 私はそうは思わないけどね。中国で餓死する人が殆どいなくなっただけ、ましなんじゃないかと思うのだけど、志が低すぎる?
公的支援がない分、助け合いの必要があるからこそ、中国の人は他人に優しいと思う。日本の報道を見ていて私が嫌だなあと思うのは、すぐに「国がなんとかしろ」とか「国連が何とかしてくれないのか」とか、他力本願になるところである。
私は問題があれば自ら対処しなければならないと思うし、自分がお金を稼げる力を持つということは重要だと思う。世の中は弱肉強食でできていると、病院の現状などをみて改めて思うからである。
それから最後に付け加えるが、中国は「和諧社会」でないからこそ、それを目指しているのである。
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