« ペッチャンコ | トップページ | オリオン »

2006年11月15日 (水)

知りたい情報

 プライベートなことなので、具体的にかけないが、ある問題点があって、その専門家でもある日本人関係者に「問題がある」と言われている。私もそれは重々承知であり、努力はしている。それでも言われてしまうということは、効果が上がっていないわけで、その場合、もしかすると努力の方向性が間違っている可能性もある。
 だから私として専門家に望むこととしては「じゃあ、どうやって対応するのか?」ということに尽きる。対応なしに「問題がある! 問題がある!」といたずらに言われても、不安を煽るだけで、何の役にも立たないばかりが、かえって害をなす。昨日は何となくいらいらしてしまっていた。冷静に対応した方がいいのにね。
 
 それで考えたのだ、日本人のものの言い方とか、報道って、いたずらに不安を煽るものが多いんじゃないかと。いじめ自殺についてだって、「いじめは良くない」というだけで、報道ではいじめが起きたらどうすればいいかがあんまり書かれていない。いじめはどの世界だって起こるんだから、良いか悪いかと、道徳で判断してもしょうがない。この世が道徳通りになるんだったら、そもそも道徳なんて存在する必要がないのだ!むしろ、起きちゃったらどーしようかという対応について専門家の意見を聞いたりした方が、現実的だと思う。

 パロマのガス事件だって、責任問題よりも、「亡くなった方がどういう使い方をしていて事故になったのか」を詳しく報道した方が、消費者に知恵がついていいと思うのだ。例えば換気扇を回すという鉄則を守っていたか?ガスの元栓を締めていたか?など、私にとっては知りたいポイントだ。それがネットでは報道されていない。

 世の中は理想的にできていないのだから、例えばいじめのない学校とか、事故のない製品とかは、決して到達することの出来ないものだと思う。だから不可能な理想を求めるのではなく、むしろどうすればいじめや事故から身を守れるのかとか、親や子供、或いは消費者としては何ができるのか、という知恵について書いたほうがよっぽど生産的だと思うのだ。

 しかし今の日本の報道をみていると、犯人探しや、パッシングばかりしていて、どう対応するとか、どうすれば身を守れるのかが全然報道されていないのだ。対応がなく、理想論ばかりいうというのであれば、それは見ている側の不安を煽るだけだ。

 尤もいじめを叩けば、私立校進学者が増えて私立校が儲かるのだし、パロマを叩けば電気会社が得をしたり、設備の買い替えが発生するのかもしれず、そういったところに消費ができて、社会が得をするのかもしれないが。それが消費社会なんだろうか?そうだとしたら、全く仕方がないものだ。

|

« ペッチャンコ | トップページ | オリオン »