愛か部屋か?
今日はお休みなので、息子の付き添いで美容室に行ってきた。それで「精品購物」という雑誌の一文に、上海の女の子は結婚の時に男の資産を見るという話が出ていた。男性は4つのタイプに分類され①部屋も車もあって、ローンがない。②車も部屋もあるが、部屋はローン。③部屋も車もないが、貯金はある。④部屋も車も貯金もない。で、結婚相手にふさわしいのは①、②③は状況に応じて考える、④は考える余地なしなのだそうだ。
その理由として、上海の女の子が「結婚は生活である」とコメントしているという記事や、実際に長く付き合ってきた男女が突然別れたが、別れた理由は女の方に、条件のいい職場を紹介してくれた140平米の部屋に住む男性が現れたからだというエピソードが挙げられていたりした。
道徳的に言えば、「お金に目がくらんで、愛を捨てるなんて!」って金色夜叉の世界になってしまうかもしれないが、私は現実そんなものじゃないかと思っている。上海の女の子を弁護するとすれば、彼女は決してお金や部屋のために愛を捨てたのではないと思う。この記事でも上海人の女の子がコメントしていたが、「何をしてくれるか?」で愛が測れということなのだと思う。「私のために部屋を用意してくれるという心意気、行動力、実力」を上海の女の子は評価しているのだと私は想像する。
中国に着てから、いろいろな体験をしたが、やはり言葉は信じられないということだ。詐欺や誇張が多い世界だから。本当に行動するか、或いは行動できるかで、真実を見分けなければならない。「モノにつられて、、、」という批判があるかもしれないが、親の遺産という概念が殆どない中国においては、モノこそが努力や実力の結果、行動の結果ということもできると思う。
日本だって同じだ。日本は中国より詐欺や誇張は多くないかもしれないが、口先だけのお愛想が多いし、当事者意識がない人、つまり誰かが何とかしてくれる、政府がなんとかしてくれるという他力本願の人が実は多い。
中国に長いから上海の女性に同情しているんだと思うが、やっぱり人生は甘くないから、嘘や誇張は見分けたいし、口先だけの他力本願な男もパートナーにしたくないだろう。やっぱり最終的には「何をしてくれるか? 何ができるか?」なんじゃないだろうか? 上海の女の子はドライだと批判されることも多いが、そういった現実主義は私は嫌いではない。
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