日本人は好意的で騙されやすい?
連休中にYAHOOニュースをみていたら、「難病のため、アメリカで心臓の移植手術をうける」という子供のための募金活動について、ネットが炎上しているという記事があった。 興味があってネットでいろいろ検索してみて、私なりに考えさせられた。
まずは肝心の大本の募金募集HPを見て、「日本人はなんて好意的で、信じやすいのだ!」と思った。1億4千万円の目標額に対してすでに8千万円ものお金が集まっている。これは本当なのだろうか! そうだとしたら凄い!
私は「ネット上に書かれていることなんて、本当かどうかわからない」と常に考えている。それなのに、どうしてやすやすと送金してしまうんだろう?
「他人からお金を恵んでもらう人」の代表は乞食であろう。我々が乞食にお金を恵むのは、乞食が困っていると予想されるからである。募金だってそうだ、恵む側は困っていると判断するから、恵むのである。しかし中国の乞食の世界には、「困っていないのに恵んでもらう」「商売として物乞いをする人がいる」という問題がある。偽乞食はわざと貧しい身なりをして外国人が多い地区や繁華街に立ち、物乞いをする。中国の報道では、乞食は黒社会(日本語で言うやくざ)の組織的な資金収集活動だという。わざと障害者を集めて物乞いをさせて、収入を元締めががっぽり取ってしまうらしい。
外国人が多い地区に立つ乞食は身なりは貧しいが五体満足である。中国人の繁華街に立つ乞食はほぼ全員が障害者である。この違いが面白い。中国人消費者は偽乞食がいて当たり前だとおもっているので、シビアであり、凄く恵まれていないと判断できる相手以外に恵まないのだ。本当か嘘か分からないが「深せんなどでは物乞いとして生きていくために五体満足な赤ちゃんの腕を切断する」という話しを聞いたことがある。ここまでしなければ中国人は物乞いに対して消費しないのである。
また他人からお金を集めるためには、自分を晒す必要もあると思う。晒さなければ、恵む側は相手が困っているか判断できないのだ。だから中国人向けには身障者の物乞いでないとお金が集まらないということでもある。
私は中国の病院で、医療費が払えなくて困っている親子にお金を恵んだことがある。親の様子が明らかに貧しいこと、親の腕に抱えられている子供がお腹がパンパンに膨れていて悪い状態だったこと、傍に診断書が添えられていたからである。つまり彼等は全てを晒しているのである。だらからこれは詐欺でなく、本当に困っているのだろうと判断できた。人にお金をもらうというのは、本来こういうことではないだろうか?
日本の子供のHPについて、記載が事実であると仮定しても、あまり私は心動かされない。ある種ご両親の必死さというものが伝わってこないからである。他人からお金をもらうのであれば、自分がどんなに困っているか自分を晒し、訴えなければ、お金はもらえないと思うのだ。少なくとも私はこのhpを見ただけでは募金に協力しないだろう。
また「困っている」の判定基準は、私の場合、日本の基準よりハードルが高いと思う。
入院時に同室だったある中国人の子供は、血腫を患っていた。この治療は月に4千元~1万元以上の治療費が必要で、中国では非常な負担である。もちろん両親は貯金を使い果たし、親戚縁者からのお金も尽き(もちろん親戚は全員貧乏になった)、看病のために片親は仕事をやめ、治療費のために家を売って住む所もなくなったのに、子供は一向によくならず、母親は医師の前で泣いていた。そして傍から見ている私としては、治療や持ち物や生活からそれが本当だと分かるし、私だって資金繰りに苦労していたので、どうすることもできなかったのである。
こういう親子をみているだけに、私財のすべてを投げ打つということが報道されず、親戚縁者からの協力について報道されないという前提の中、何故お金が集まってしまうのか、私は理解できないのだ。単に日本はそれだけ豊かということなのかも知れないが。
このご両親も、私財をなげうっているかどうかなど、自分を晒さないまま募金活動をはじめているが、自らを晒さなくても気軽に募金をはじめてしまえるお気楽さこそが、日本の豊かさであり、尚且つネット社会の問題点なのかも知れない。
こんなに気軽にお金が集まるんだったら、それを利用する人だって出てくるだろうなあと私は皮肉に考える。もちろん騙す人は悪いが、安易に信じる方もいかがなものかと思う。
まあ、安易に人が人を信じる、美しい社会だからこそ、私は日本に帰るとほっとするのであるが、必ずしも善意だけでない人達が跋扈するのが世の常だからこそ、他人に優しく、しかし慎重でありたいと願うのである。
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