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2006年9月10日 (日)

格差社会はそう悪くない

 日本がこれから格差社会になっていくという話しがあるが、私はそう悪くないんじゃないかと思う。日本のようにみんなが同質という社会では、異質であることが排除の対象となる。排除を受けた側の痛みというのは相当なものだ。
 例えばサッカーの中田選手がチームで無視されていたというが、日本の社会にはこういったすごくケチな部分がある。人は違っていて当然で、この違いをまとめながらチーム、或いは社会を作っていかなければならず、まとめてこそチームである。異質な人間の意見をきいてこそ、自分の理解を深めることができるのであり、異質な人間とコミュニケーションを取ることで、異質な人間を集団に協調させることができると私は考える。しかしそう考えず、異質であれば排除すればよいと思っている人も多いというのが日本社会であると思う。
 名目上はチームの一員であり、その場にいるのに、実質的にチームの一員ではないというのは、人を心から傷つけるものである。
 中国は格差社会であるから、人は考え方が違って当然という前提があるから、中国の人と話すのは割と楽である。日本で格差社会になった場合、もちろんその格差社会は、教育の機会が均等で、個人の努力が格差を覆すものであるべきという前提が必要だが、「同質で当然」という風潮がなくなるのはとてもよいことだ。

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