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2006年9月29日 (金)

日本製の細やかさを思う

 昨日は息子の墨絵サークルで、私は立会い当番だった。息子は4月からサークルを始めたが、今では好きでないらしい。中国製の墨汁のふたがあまりよく締まらない形になっていて、荷物の中に墨汁を入れて歩いている最中に墨汁が漏れ、鞄や服が汚れたことが2回発生したことが原因のよう。他のお子さんで中国製の墨汁を使っている人も少なくないから、もちろん息子がだらしがないという問題もあるのだが、中国の墨汁は、ふたが差し込む形になっていて、不安定である。販売されている時点で既に墨汁が漏れていたようで、外装の紙箱の内側に墨の汁の跡があった。まあ息子だけの原因ではないと思う。細部まで決め細やかであるという点が、日本製品のよいところであるなあと改めて思う。例えば中国で購入した鉛筆は削っても削っても芯が折れ続けるということがしばしばある。そういうこともあって、うちの子供たちは、全くの日本志向で、何かというと日本製を欲しがる。不器用なこどもだからこそ、日本製と中国製の微妙な違いが気になるのかも知れない。

 マンションの24時間温水騒動は、ひとまず一段落で、昨日からやっとお湯が使えるようになった。久しぶりで湯船でゆっくりして、とても嬉しく思う。やっぱり私にはゆっくりとしたバスタイムと、グルーミングタイムは必需品と思う。

 もうすぐ国慶節で、今日で子供達は学校がおしまいで、9日間の連休となる。面白くないことがあったので、日本に帰国してリフレッシュしようかと考えていたが、スタートダッシュで出遅れてしまい、ディスカウントチケットを入手することができなかったので、断念。「ディスカウントチケットが入手できていれば、今日の夜にでも成田に飛び、日本の山や美術館で、秋をゆっくりと楽しんでいたのではないか、、、」と思うとしゃくである。秋は日差しも柔らかいし、気候も穏やかなので、レジャーには最高であると思う。子供を乗っけて山の方に行ったりしたら、それはそれは楽しいに違いないので、やっぱり連休明けに免許を取りに行こうと思う。

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2006年9月26日 (火)

家主委員会騒動のその後

 私の住んでいるマンション地域について、管理費が支払われないために、管理会社が運営困難となり、「24時間温水提供を止め、各戸が電気ボイラーを設置するよう」要請し、それに対して家主委員会が結成され署名運動をするなど、温水提供停止に反対した。しかし運動もむなしく、「ボイラーの修理」などを理由に温水の提供が停止されてすでに2週間以上になる。

 温水が提供されないので、我が家ではシャワーもお風呂もできない。私は毎朝早く出勤して同僚が来る前に会社でシャワーを浴びる。子供たちのためには、冬物とか衣類をしまっておくプラスチックのケースを用意して、それを小さな浴槽代わりにして、お湯を沸かせて沐浴させている。なんかトホホな感じだ。とっとと引っ越したいが、夫が動いてくれないし、私が動いて高くつくのも嫌だし、煩く言って喧嘩になるのも嫌なので、ぼんやりしている。

 日曜日に散歩したら、最近の状況についての家主委員会の報告があって、
1.ボイラー修理というので、ボイラーを見学に行ったが、誰も修理していない。証拠として写真を撮影。
2.「管理会社の社員であれ、家主であれ、他の家主に電気ボイラーを設置するよう説得に成功した場合、成功が10件以上になった場合、奨励金としてRMB1000元を与える」という話しがあるという噂がある。
などと書かれていた。

ボイラー修理は名目に過ぎないと思っていたが、その通りだし、説得10件で千元の奨励金も、さもありなんという感じ。「10軒を説得して千元って、私だったら割りにあわないような気がする。まあ月収が600元の人とか無職の人だったら頑張るかも知れないけどね。」とか、他人事のようにぼんやり考えてみたりする。

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2006年9月25日 (月)

地下金融

 よく中国の個人の資産状況を調べて欲しいといわれる。都市戸籍の人の場合、資産といっても、①会社の株主になっているか(⇒もうかっていない会社の株をもっていても意味がないし、バブルな部分が大きいんじゃないかと思われる)、②部屋をもっているか、③車をもっているか(⇒とはいえ、今は日本同様、車も大衆商品になってしまったので、「買うときは高いが、売るときは安い」という感じで、資産としてどうなのかと思ったりする)、くらいしか測りようがない。というのは、共産党の国だから、土地は国家のものだし、貴族もいないし、旧貴族の財産というのはおおむね没収されている。

 逆に借金については、中国の銀行ローンというのはまだ始まって5年くらいで、教育ローンと、住宅ローンと、車ローンくらいしかない。個人が会社のために借り入れをするということもできないので、借金まみれという人は理論的には存在しないのである。

 しかし、だ。中国には「地下金融」というものが存在する。まあ、最近まで闇の両替屋さんが出没していたのだから、そういうのがあるのも想像に難くないだろう。携帯電話のショートメールに「誠実に、高利でお金を貸します。小額の場合は金利は不要です。」などの宣伝が入ることがある。以前新聞で読んだところでは、博打に嵌った人が高利貸しから金を借り、借金が返せなくなって、借金の取立てが熾烈なために、飛び降り自殺をしたという話題があった。しかし高利貸しの問題はあまり表に出ないのが、現状のよう。

 高利貸の問題については、例えば日本ではアコム事件などが問題になっている。高利貸しとは、厳しい取立てもある、ブラックな世界で、たいへんお気の毒な状況になってしまう人もいるのであろう。しかしある意味、そういう世界を残すのも、悪いことばかりでないように思う。「借りたものは返さなければならない」「自分のやったことは、最終的に自分で責任を負わなければならない」というのが、世の中そのものだからである。

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SK-Ⅱ問題の補充

 22日金曜日の夕方に、食事会に参加するついでに、時間があったので、太平洋百貨覗いた。そうしたら案の定1階化粧品売場のSK-Ⅱのコーナーが明かりが消えて封鎖され、ガードマンが一人立っているだけになっていた。ガードマンによると21日から封鎖されたそうだ。

 日本人ビジネスマンの間の噂によると、SK-Ⅱ事件はニセモノではないようだ。SK-Ⅱで重金属が出てしまったということは、他でも出る可能性があり、そうなると、中国の化粧品業界の問題になってしまうので、今後はこういった検査は行わないらしいという話しが出た。本当かどうかわからない。

 まあ中年女の感覚からいうと、やはりあまり化粧品にお金をかける必要もないんじゃないかという感じだ。ニセモノも多いし、正規品だって何が含まれているか分からない。化粧品を信仰し、頼るのでなく、「日焼止めと保湿、洗顔をきちっとする。常に化粧するのでなく、肌を休ませる日を作る。ストレスを溜めずに、よく運動し、よく寝、規則正しく食事をし、生活する。」とかの基礎的な事が大事なんじゃないかと思ったりする。

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2006年9月22日 (金)

中国のSK-Ⅱ製品に重金属成分が含まれていた問題について

 上記問題は中国の報道でも盛んに報道している。「ふーん」と思ったのは、アナウンサーが事件を紹介する際に、「日本ブランドのSK-Ⅱ」と言った部分。「ふーんそうか、中国ではSK-Ⅱは日本ブランドとして認識されているんだ」と驚く。というのは、私の中に「SK-Ⅱは日本ブランド」という概念がなかったからである。

 「SK-ⅡはアメリカP&Gが株主で、P&Gが宣伝等に力を入れてバックアップし、だからこそ、伸びたんだ」という話しを聞いたことがある。うちでは台湾と中国大陸のテレビ番組が写るが、女優さん(誰だっけ、有名な台湾の人)を「代言人」として、台湾と中国で、ものすごい勢いでテレビコマーシャルを打っている。コマーシャル内容もまたすごくて、数年前の事だが、「20才分くらい若くなる」とか宣伝で女優さんが謳ってしまったので、誇大広告ということでパッシング問題に発展したこともある。SK-Ⅱ製品は台湾や中国で盛んに宣伝され、台湾、中国、韓国でとてもよく売れているというイメージがある。今回日本のニュースでSK-Ⅱはルーツが日本ブランドで、P&Gに買収され、日本で作っていると聞いたが、私はイメージとして「日本ブランド」というのは違うんじゃないかと個人的に思っている。

 先程述べたように、宣伝が盛大なため中国におけるSK-Ⅱの需要は相当なもので、多分資生堂よりもずっと市場シェアが大きいんじゃないかと思う。私のイメージとしては、市場シェアは「SK-Ⅱ>羽西=資生堂」という感じ。ちなみに私は資生堂派。

 テレビではSK-Ⅱの特設会場に消費者が押しかけ、商品の返品を求める消費者が会社と協議書を結んでいる画面が放映された。「協議書を結ぶだけで、返品してくれない!」と消費者がインタビューを受けていた。アナウンサーによると、消費者協会が「SK-Ⅱは消費者法に基づき、返品に応じなければならない」と表明したとあり、そうだとするならば、多分これからSK-Ⅱは返品に応じていくのだと思う。

 疑問に思うのは、SK-Ⅱは日本で作られ、台湾や韓国でも売られているが、本当に重金属成分が含まれているんであろうか?ということである。今まで台湾でも香港でも日本でも、そんな話しを聞いたことがないからだ。
 
 あくまで私の個人的な推論だが、中国の市場にはSK-Ⅱのニセモノも大分流通しているので、それらと混同されている可能性だってあるんじゃないかと思う。

 最近では中国政府のニセモノ取締りにより、見かけなくなったが、数年前まで、地下鉄や地下道をあるいているときに、「SK-Ⅱの化粧品セットを買わないか?」とよく声を掛けられた。また最近は行かないのでよく分からないが、万通の化粧品卸売センターなどで結構SK-Ⅱ製品を見かけたものだ。ニセモノのパッケージは殆ど本物と見分けがつかないようなものもある。

 もし仮に摘発されたサンプルがニセモノだったとしたら、たいへんな悲劇だ。ちなみにアメリカP&Gはニセモノ対策に力を入れている企業で、確か反海賊版連合を組織したのもP&Gだったように思う。そうだとしたら、そこまでしているのに、お気の毒としか言いようがない。

 今後化粧品業界の勢力地図がどう変わっていくのが、興味をもって見守りたいと思う。

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2006年9月13日 (水)

満願

ブログお百度がめでたく満願となりました。
願い事も、完全にかなったわけではないのですが、明るい光明が見えてきました。
まあ、めでたいことです。
もうちょっと、頑張ります。

それから、いつもご覧頂いている方、どうもありがとうございます。
いつの間にか読者の方が増えていまして、
決して読んでくれる方のために書いているのではなく、
ストレス解消のため、言いたいことを無責任に書いている私としては、
勝手ながら、誰が見ているか分からないという部分が
こわいなあ~と思うこともあります。

満願を機に、今後はぼんやり思うことなどを、MIXIに書き、
中国の様相のみを示すようなもののみをブログに書いていきます。

まあ、チャイニーズライフの日記をみてやってもいいと思われる方は、
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1973808
をご覧いただけるよう、お願い致します。

MIXIだと、ある程度どなたが見ているのか分かりますから安心ですね。
MIXIに入ってない方は、私にメールいただければ、ご招待メールを送ります。

どうぞ宜しくお願い致します。

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2006年9月12日 (火)

価値観の違い

大学の後輩の女の子が、国際結婚を考えていると言うので、頼まれもしないのに勝手に以下のようにアドバイスしてみた。私の周りではカナダ人と結婚している人、フランス人と結婚している人、中国人と結婚している人など、結構いろいろいるのだ。

****以下文章はメールから引用****

国際結婚で難しいのは次の2点だと思います。
まあ、日本人同士でも難しいこともありますし、
外国人との結婚でも、コミュニケーションで問題は解決すると思います。
まあ、発生しやすい問題として、
以下を考えておいてもいいのではないかと思います。

1.男女はフィフティフィフティ
⇒欧米の男性も中国人男性も、「女も稼いで当然」と思っていますから、子供が小さかろうと、共稼ぎを求められる事が多いです。日本の男性のように「男が家族を養うことが甲斐性」と思っている人は、そういないんじゃないでしょうか?
よっぽど稼ぐ相手でない限り、専業主婦などはできません。それどころか常に経済的に頼りにされます。
それに転職や起業が当たり前の人たちなので、生活の変化を覚悟する必要があります。日本的な安定は難しいと思います。
こういった問題について、彼と話せば、ある程度将来的なビジョンは見えると思います。しかし自己アピールの国の人達なので、話の内容についてチェックすることも必要です。

2.個人主義
日本人は「まずはじめに全体ありき」的な発想がありますから、自分の属する組織を大切にすると思いますし、自動的に同僚やパートナーを尊重しますが、個人主義の国の人たちの場合は、組織としての信頼感よりも、個人や血が優先されることがあり、それが日本人の立場からするとちょっと耐えられないように感じるときがあります。

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 「1.男女はフィフティフィフティ 」について、少し前に中国に住む独身女性たちと一緒に飲んだときに面白い話しをしたことがある。彼女達は他のおじさまに「中国人男性と結婚するという選択肢はないのか?」と聞かれ、「日本人女性は男尊女卑が刷り込まれているから、難しいんじゃないか?」という話しになった。もちろん「男尊女卑」というのは、旧来の「男に従がう」という意味ばかりでなく、「大黒柱として頼りになる男」という意味があると思う。ほーんとお金を稼ぐのはたいへんだもんね。そりゃあ離婚や死別のリスクがあるから本当はフィフティーフィフティーの方がいいかも知れないが、日本の勤め人の現状というのは子供を養いながら仕事ができるようなものではないし、子供はやっぱり手をかけてあげた方がいいと、私は強く思う。

 私は女なので、日本人女性がきちんと稼ぐ大黒柱のような男がいいと思うのはよーく理解できる。しかし、でも私が日本人の男だったら、「自分で生活するだけで手一杯なのに、頼りにされても困るよー。稼ぐのはたいへんなんだって!」とか考えそうだ。甲斐性なしだからである。女の子とは付き合いたいだろうが、付き合っても、のらりくらりとしそうだし、のらりくらりに耐えられなくなった女の子に振られるのであろう。なんだか目に見えるようだ。

 現実の私としては、「子育てもして、仕事もして、もープレッシャーで一杯で、たいへーん!」とか、くじけたりすることもあるんだが、まあ、私より条件が悪くても、住宅ローンまで背負い込んで頑張っているお父さんもどこかにいらっしゃるわけなので、あまり考えずに、嫌な事があっても因果応報と思い、頑張ろうと思う。

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2006年9月11日 (月)

中国でのホームスティ

 先週、日本の大学関係者の方とお話しする機会があった。この大学では、学生の短期留学プログラムや長期留学を支援しており、中国でのホームスティも行っているそうだ。私は中国でホームスティがあるということにひどく驚いた。というのは、私が留学しても良いかなあと考えていた15年くらい昔は、留学と言えば寮滞在が当たり前で、ホームスティという選択肢は考えられなかった。当時は住宅事情が悪く、「経済適用房」など郊外の大団地が存在せず、1つのマンションに数世帯が住んでいたりすることも珍しくなかったからだ。私が10年前に訪れたある北京中心地のマンションでは、3Kのマンションに3組の夫婦が住んでいて、トイレと台所を共有していた。こういうのが普通だったから、ホームスティなんて不可能だったのである。

 日本の大学生が中国北京の一般家庭にホームスティができるようになったということは、北京の住宅事情が格段に向上したと言うことだと思う。具体的にどういうところにホームスティしているかというと、その中国の提携大学の大学宿舎が、現在は主なホームスティ先になっているらしい。しかし、業者によっては、胡同でホームスティなんていう選択肢もあるようだ。その日本の大学関係者が語るには、いろいろなホームスティプランがあるが、現在の大学生は中国の富裕層の現代的な部屋にホームスティすることを好むらしい。「個室有り、ブロードバンド環境あり、ついでに別トイレあれば最高!」という考えのよう。私だったら下崗職工(レイオフされた人)の家なんかの方が、質素ではあるが、庶民の現状を知ることができるし、基本的に暇なのでいろいろ中国の事を教えてもらえるし、中国語以外はできない中国語のスペシャリストだから、語学力の向上のためにいいように思うが、若い学生は設備やネット環境が駄目だったり、人間関係が暑苦しいと言う理由で好まないそうだ。なるほど!

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伯母を思う

 昨日は部屋を整理していたら、伯母の本がでてきた。「油絵の描き方-風景画-」という本で、伯母の絵や、伯母がスケッチしている後姿や、伯母のコメントなどが掲載されていて、伯母を知るだけに非常に面白く感じられた。貰った当初は私も若く、伯母が身近な存在でありずぎたために、何とも感じなかったのだから、面白いものだ。伯母とは意図したわけではないのに、中国駐在に出発のため帰省したその電車でたまたま会ってお茶をしたり、たまたま帰省して散歩しているときに出くわしてお茶をしたり、血のつながりの濃さを感じていたものだ。まあ単に狭い田舎町だからと言うことなのかも知れないが。彼女も第一子で、言いたいことをいうタイプなので、今思うと似たところがあったように思う。だから、経験を積んだ今になって、深い話しをしたら面白かっただろうなあと思うところがある。

 この本では伯母の私的な風景が描かれているから、私にとってもなつかしい故郷の風景や、伯母の家族と行った××や○○の風景が、当時のままに描かれていて、じんと来てしまった。特に伯母のコメントが面白く、悩んでいるときは足元の草を眺めてみるのがいいとか、歳を重ねると、人生にはいいことも多く楽しいものだと思えるようになるというくだりに共感した。伯母が祖母を偲んで描いたという絵を見て、祖母が亡くなった当時を思い出したり、小さな住宅が取り壊された時に露出した柱が面白かったというエピソードに、従兄と一緒にそのあたりを遊び歩いた事を思い出したりした。そこにはマンションが建ってもう20年以上になる。
 伯母が従姉と一緒に過ごしたイタリアでのお正月のくだりを読んで、伯母も従姉もなくなってしまったけれども、私の目の前には二人の姿が浮かび上がると言うところに、不思議な、物悲しい気持ちになる。

 こういうものを読んでしまうと、無性に自分の田舎に帰りたくなるものである。

P.S.ちなみに私のMIXIの写真は、伯母の絵。YAHOOオークションで3万7千円(だったと思う)で競り落とされたそう。最後に伯母の展覧会に行ったのは大学時代ですが、その頃は絵の値段なんて興味がなかったから、見もしなかったと思うし、見ていたとしても、もう覚えていない。だからこの値段については、よく分からないが、草葉の陰で伯母が苦笑いをしているか、それともまあ売れるだけましと思っているか、憤慨しているか、とても興味がある。

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2006年9月10日 (日)

格差社会はそう悪くない

 日本がこれから格差社会になっていくという話しがあるが、私はそう悪くないんじゃないかと思う。日本のようにみんなが同質という社会では、異質であることが排除の対象となる。排除を受けた側の痛みというのは相当なものだ。
 例えばサッカーの中田選手がチームで無視されていたというが、日本の社会にはこういったすごくケチな部分がある。人は違っていて当然で、この違いをまとめながらチーム、或いは社会を作っていかなければならず、まとめてこそチームである。異質な人間の意見をきいてこそ、自分の理解を深めることができるのであり、異質な人間とコミュニケーションを取ることで、異質な人間を集団に協調させることができると私は考える。しかしそう考えず、異質であれば排除すればよいと思っている人も多いというのが日本社会であると思う。
 名目上はチームの一員であり、その場にいるのに、実質的にチームの一員ではないというのは、人を心から傷つけるものである。
 中国は格差社会であるから、人は考え方が違って当然という前提があるから、中国の人と話すのは割と楽である。日本で格差社会になった場合、もちろんその格差社会は、教育の機会が均等で、個人の努力が格差を覆すものであるべきという前提が必要だが、「同質で当然」という風潮がなくなるのはとてもよいことだ。

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2006年9月 9日 (土)

秋の空

 今日は午前中子供のテニスレッスンに付き添い、暇を見つけて1.3キロ泳ぎ、爽快な気分になる。何故かとても喉が渇き、500メートル泳ぐことに水を摂取し、スチームサウナを楽しむ。疲れたので家に戻ったらソファーで2時間ほど転寝をしてしまった。目覚めたら「よく寝た!」という満足感にひたり、そのまま息子と八百屋に買い物に行き、夕食の材料を買い込む。北京はすっかり秋で、道行く人たちが長袖を着ている。風が強く冷たいので、マンション敷地の入り口に立っているガードマンが長袖を着ているのだけど、寒そうにしていた。風が強いのでいつになく北京の空は美しく澄み、空が高く、吸い込まれそうである。なんだか物悲しい気持ちになる。

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2006年9月 8日 (金)

9月9日分 内部崩壊

 家主委員会のその後について、うちのお手伝いさんから情報を得た。中国人というのは横のネットワークがすごいのでたいしたものだ。外で「女主人が変人だ」と言われていないか心配だ。(笑)

 不動産管理会社の策略で、ボイラーの改修とか何とかで、お湯が使えない数日が断続的に続き、主に老人が音を上げて、今は約半数の家で家庭設置用のボイラーを購入したのだという。主にやや若い世代について、ボイラーを購入していないのだという。若い世代であれば勤務していたりするので、勤務先にシャワーがあったりするので、大型ボイラーがあっても音を上げずに済むのであろうと思う。

 私は1998年から2000年まで、日系企業がたくさん入居しているビルで働いたが、住処のボイラーの調子が悪くお風呂に入れないときには、そのビルの地下にあるシャワールームをかなり活用していた。そのころから私は結構現地化していたので、上司がいない期間は、こっそり昼休みにシャワーを使ったりした。まあ、中国に長い人なら経験があると思うが、午後に洗い髪がぷーんと香っている中国人職員は昔は少なくなかったのである。まあ住宅事情が昔は悪かったから、休憩時間や仕事の後に職場でシャワーを浴びる人が多かったということ。それに女トイレにストッキングを洗って干してから帰えるような中国人職員も多かったしね。
 シャワールームでは、女性達が隠すこともなく裸体をさらして順番待ちをしていたので、私は下手に隠すのが却って恥ずかしく感じたので、それ以来日本に帰ったとしても、風呂屋とか温泉とか、女だけの世界で裸になることにまるで抵抗がなくなっている。決してナイスボディーの持ち主ではなく、腹がたるんでいたりするのだが、まあ隠すほどのものでもないということなんだろう。

 老人達は、ずっとマンションの敷地内で暮らしていて、出かけるのは「免費班車」での買い物くらいのものである。すなわちスーパーの販促のために存在するスーパー無料送り迎えバスに乗って、スーパーに行くくらいなものである。けちな老人も多く、無料バスにのっていくのに、何も買わずに帰る人も結構多いらしいし、いつもこの無料バスは人でいっぱいだ。スーパーに行くのではシャワーはないし、だから耐えられずに家庭用電気ボイラーを買ってしまうのであろう。

 まあ電気ボイラーを買う人が増えれば、マンションの石炭ボイラーが運転されなくなり、私も電気ボイラーを買わないわけには行かなくなるのであろう。家主委員会も全くちゃちなものである。もっとがんばって欲しかったものだ。

 

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寒い

 外に出るとひんやりした。曇空に風が強く、砂が舞い上がる。風が冷たく、もうすぐ冬が来るんだなあと実感する。北京の寒さは、私は大嫌いだ。合弁会社勤務時代に、暖房も効かない部屋で机に向かったり、或いは日の差さない底冷えのする寒さの工場控え室で過ごしたことを思い出す。
 嫌な合弁時代を思い出す風景を見たとき、私はむしょうに日本に帰りたくなるのである。日本に帰ったとて、いいことはあるまいと脳みそに突っ込みを入れて、これから仕事に没頭して、嫌な事を忘れようと思う次第。

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2006年9月 7日 (木)

趣味の問題だが

 昨日は男の宮さまが生まれたそうだ。子供が生まれることはめでたいことではあるが、ネットばかりでなく、日本のテレビもそのニュースばかりであったと聞いて、それは騒ぎすぎなんじゃないかと個人的に思う。昨日は君島十和子さんのニューショップ開店の日で、私はとても楽しみにしており、ネットでいろいろ探したが、詳しい報道がどこにも出てこない! 十和子さんが宮さまのせいで霞んでしまったのが残念だし、そんなに報道するくらいなら宮さまの顔ぐらいみせろよと思ったりする。同じ情報の繰り返しで、何が楽しいんだと思ったりする。

 でもせっかくなので宮さま関係の記事も見てみたが、面白かったのは病院のお医者さんと記者の一問一答で、父親の秋篠宮様が、出産まで控え室に控えており、テレビを見ていたそうで、「ドラマがお好きなよう」と医師にコメントされていたという部分。「ふーん」と思った。

 出産経験のある中年女として言わせていただくと、出産は女にとって一大事である。死ぬ可能性だってあるんである。そういう大事なときに、テレビを楽しむ夫というのは、どうなのかしらんと思うのである。あたかも他人事のようじゃあないか? そりゃあ夫が祈ったって、出産は妻と医師が行うんだから、関係ないといえば関係ない。妻と医師を信頼しているということなのかも知れないが、しかし夫と言う原因があって、妻は出産をするのだから、妻や子がたいへんな状況にあるときには、せめて思いを寄せて欲しいもんだと私は思うのである。

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2006年9月 6日 (水)

蟻酒詐欺

 夜に見たテレビの報道特集が面白かった。どこの省だか忘れたが、ある酒の製造メーカーが、漢方酒である蟻酒をつくるということで、「必ず儲かる」というフレーズで蟻養殖農家を募り、養殖を始める前に蟻事業の資金が必要と言って、契約養殖農家となることを条件に出資させたはいいが、結局出資を受け取っても何もしないという事件である。この酒メーカーは2004年設立で、2004年頃詐欺を働いたということになる。騙された農家がもしこのメーカーの信用調査を取っていたとすれば、このメーカーが有名無実な「皮鞄公司(要するに鞄一つにお金と電話と会社印を入れていて、それが会社の規模ということ)」が分かったはずである。
 実は2000-2004年頃はちょっとした養殖ブームで、私が住んでいるのは農村地区なので、農村の工場などの壁に「カタツムリ養殖。必ず儲かる。連絡電話13**-****」など、無造作にペンキで書かれているのをしばしば見かけていた。他には毛皮目的の狐の一種やら、食用かえるやらの広告があったと思うが、最近では私の住まう農村が農村ではなくなりつつあるためか、或いは人々が騙されなくなったせいか、さっぱり見かけなくなっている。

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2006年9月 5日 (火)

目黒の庭園美術館を思う

 先だって日本に帰国したとき、目黒の庭園美術館を14年ぶりに訪れたが、とても良かった。思い出の場所だからである。中学の水泳部で一緒だった友人が美術かぶれで、彼女に付き合って大学時代はいろいろなところをぶらぶらしたものだが、その中の彼女のお気に入りの場所の一つが目黒の庭園美術館だったのだ。新しく喫茶店やミュージアムショップが出来ていたが、建物本体も庭も当時と全く変わらなくて、とても懐かしい思いがした。

 彼女とは中学時代に部活を共にしたばかりでなく、大学学部時代に、雑司ヶ谷の墓地を歩き回ったり、鬼子母神に行ったり、雑司ヶ谷の旧宣教師館を訪れたり、多摩美の金粉ダンスを共に鑑賞したりして、とても愉快な思い出がある。

 しかし残念ながら現在彼女がどうしているのか、私は知らない。彼女は芸術好きが高じて、大学卒業後しばらくして、フランスに遊学した。フランスに遊学して一時帰国したとき会ったが、その後私は院を出て中国に赴任になり、そのまま会っていない。共通の友人もいるのだが、その友人も把握していないようだ。別れたときに気まづかった部分も多分影響しているのだと思う。一時帰国の際に、私が「フランスはセンスが良くて素敵な国でうらやましい」と言ったところ、彼女はとても苦い顔をしていた。その後私も経験することとなるが、異国での価値観の違いに彼女は苦悩していたのではないかと想像する。特に憧れであった国であるから苦悩はひとしおだったことだろう。彼女と連絡が取れなくなってしまったのは残念だが、しかし楽しかった思い出があるので、それでいいと思っている。

 庭園美術館はアールデコを取り入れた芸術作品のような建物で、いつ行ってもロマンチックな気分になれる。妄想肌の私としては、例によって貴夫人になった気分でソファーでゆったり休み、そして歩き回るのである。庭園美術館の係員さんもたいしたもので、環境に感化されるのだろうか、特に中年のご婦人の係員の方がやけに丁寧な言葉使いで且つ親切に立ち回ってくれるので、阿呆な私は舞い上がり、ますます気分が貴婦人化してしまう。やっぱり丁寧に扱われると気分もいいしね。誰が見ても付け焼刃だってわかるのに、皇族の紀子様チックな微笑を浮かべ、丁寧に挨拶し、ついでに美術館の美しさについて、係りの人にご意見まで述べてしまう。「その付け焼刃な、ざます言葉はやめて頂戴」と、娘が見たら笑うことであろう。全く我ながら、ちゃんちゃらおかしいし、客観的にみたらさぞかしこっ恥ずかしいことだろうなあと思うが、こんなことで気分が高揚できるのなら、お安い限りである。

 庭園美術館のご案内によると、夜の展示、立食パーティー、音楽会など様々なイベントがあるらしい。こういうイベントにドレスアップして参加したら、とても楽しいに違いないし、高揚感に浸れることは私の場合確実である。次回帰省の折には事前にインターネットで行事を調べ、はがきで申し込んじゃおうっと思う。まあ、どっちにしろ、庭園美術館はお勧めです。

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2006年9月 4日 (月)

なるほど

 最近数日の自分のブログを読んだら、ものの言い方がとてもきつい。多分いらいらしていたからだと思うが、一昨年事情があって母校を訪れたときに、中学時代の恩師から「あなたは物事をはっきり言い過ぎる」と言われたことを思い出したので、自重したほうが自分のためだと思うので、反省を込めて記事をそのまま放置することとする。中国人向けの表現と、日本人向けの表現を分けた方がいいのだろう。

 今日は曇りで、北西の風が吹いてだいぶ涼しい。半そででは肌寒いくらいだ。

 どうでもいいことだが、7月末に連載の編集部から私宛の読者さんからのメールを転送していただいた。「あんたは北京のサービスが飛躍的に向上しているといっているが、タクシーなんかはひどいもんだぞ!」と言われ、私は筆まめなので(というか、活字中毒なので)返事を書こうと書きかけたが、返事を書くのを止めている。多分書いても理解されないと思うからだ。

 結論としては、だいぶよくなっていると思う。だって昔は三環路の東南角から東北角に行こうと思っていたときに、西から大回りされそうになったが、近頃はそういうことはなくなっているからだ。

 また「馬が乗り手を見るように、タクシーの運ちゃんも乗り手を見る」と言う部分もあると思う。現在サービスが悪いのは空港からタクシーに乗るときだと思うのだが、それは空港の対応が悪いからであり、空港に客を送ってから運ちゃんは3.4時間も待たされてやっとお客を乗せることができるからだ。3.4時間待った挙句、走行料金が30元だったりしたら、決して客のせいではないけども不愉快になるというのは正常な人間の心理というものであろう。だから「あんたもたいへんだねえ、私も仕事で疲れているのだし、お互いさまだから、堪忍してくれや。」と、懐柔作戦を取るのがいいと思う。もしくは最初にあえてチップを渡し、金で解決しちゃうのも手だ。(中国にはチップの習慣がないので、そうしない方がいいが、金持ち喧嘩せず精神を地でいく方のために。)
 もしくは強行作戦もある。運ちゃんが客に悪い態度を取った場合は、タクシーの運ちゃんのサービス番号を控えるふりをしたり、必ず発票(領収書)を貰って、クレーム電話をかけるということが必要だと思う。
 クレーム電話はかけるべきだと思う。例えば空港の運ちゃんの対応が悪いのは、そのシステムに問題があるからで、(→仕事がはいったので、またあとで!)

 

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2006年9月 3日 (日)

秋の空

 どうでもいい悩み事のせいで鬱になったら馬鹿馬鹿しいので、昨日は1.3キロ泳ぎリフレッシュする。37歳を目前に控え、充実した40代の準備として運動に力を入れようかと思った。

 今日は、まさに秋といった感じで涼しくて心地よい。今日は午後から仕事で日本から出張で来ている人に会う。都心に出るので、ついでに友人に頼まれた紅水晶の印鑑なるものを見に行く。

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2006年9月 2日 (土)

思考する

 数日前にちょっと不愉快なことがあった。まあ潜在的な問題なのだが、中国人と日本人の考え方の違いによるものだと思う。今までも考え方の違いによる大きなトラブルを経験してきてはいるが「何故相手がそう考え、そう話すのか? 何故自分はそこに反応してしまうのか?」を理屈で説明し、論理で違和感をねじ伏せ、「まあいいや」で済ませてきた。理屈によって自分の脳みそを説得し、自分を抑えてきたからこそ、連載が書けたのだと思う。今まで非常に悩み、眠れない日も経験したが、無駄ではなかったということになる。
 今回のトラブルは、潜在的な問題で、論理で何度もねじ伏せようとしているが、類似の問題が起こる度に「理解はできるが、納得できない」と強く感じてしまう範疇のものである。相手には不愉快さについて何度も指摘しているが、説明しても理解できないのだと思う。私にとって重要であることは中国人にとっては価値もない事だし、中国人の概念にないことを求めているのかも知れず、それでは口を酸っぱくしながら説明しても、分かりっこないということになる。それに他人を変えようと思う私の考えが浅はかなのだと思う。
 かといって自分を納得させることができていないのは困ったことだ。「何故自分は納得できないのか? 割り切った方が得なのか? それとも割り切れないからこそ放棄した方が幸せなのか? 何故自分はその部分にこだわってしまうのだろうか?」ということを考えていたら、就寝早々目覚めてしまい、起きだしているという始末。健康に悪いなあと分かっていながら居眠りをすることもできない自分は、案外精神的に弱いのだなあと思ったりする。まあ、思いつめていないだけ幸せと思って、眠くなるか、子供が起きだすまで、あれこれ分析してみようと思う。
 

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2006年9月 1日 (金)

「かわいそう」という言葉が大嫌いである

 昨日脱北者について記述するブログを読んだら、その書き込みに「脱北者はかわいそうですね。国連が何とかしてくれないんでしょうか。でも日本に難民受け入れは難しいでしょうね。」というコメントがあった。私はこういう発言が嫌いである。

 まず「国連が何とかしろ!」というコメント。日本だって国連の一員なんだから、国連が何とかしろということは、日本も何とかしなければならないという意味である。それを認識しているのであろうか? 難民を大量に受け入れる覚悟があるんだろうか? あたかも他人事のようにいえるところが凄いと思う。

 自分で引き受ける気がさらさらないのに、「かわいそう」といい、「かわいそう」と言えばきっとどこかの誰か(例えば国連)が、目の前の「かわいそう」を処理し、自分を快適にしてくれると考える、その考え方も私は気に食わない。そんな我侭が通用するような、甘い世界なんて!

 自分で発言する以上は、その発言に責任を持つ必要がある。だから「かわいそう、なんとかならないのか?」と言った以上、「じゃあ、あんたは何ができるのか?」と突込みが入るのが、大人の社会だと思うのだ。いまどき、北朝鮮の難民を受け入れたい国がどれほどあると言うのであろう? 日本で受け入れられるというのだろうか?

 日本が難民を受け入れることは、日本にとって出費こそあれ、あまり得になることではないと思われる。実際に受け入れるとなると反対が起きるだろう。「脱北者かわいそう」と言っていた、その舌の根が乾かぬうちに。

 だから、自分で何もできないんだったら、何も言わずに黙っていた方がいいと思うのだ。指摘して、議題に上れば、自分にお鉢が回ってくるのである。日本政府は世論で動くところがある。だからこそ、自分達にお鉢が回ってこないで欲しいと思うのならば、何も言うべきではないと思うのだ。

 それに「かわいそう」な事なんて、世界のどこでも発生しているのである。きりがない。海外に住むと分かることだが、人間は平等なんかじゃないのである。まあ死が誰にでも訪れるということだけは平等だけど。

  まあ、それにしても北朝鮮があまりいい状態でないのは事実である。だから下手に「かわいそう」というよりも、北朝鮮が難民を出さなくても済むようにもっていくのが、北朝鮮の人たちにとっても、我々にとっても賢いやり方だと思うわけで、それゆえ経済制裁をしない方がいいように思えるし、あさりを買ってあげることもいいことのように私は思う。まあ、あくまで私見ですけど。

 私は「かわいそう」という感情論で物事を進めていくのが、嫌いである。問題があるならば、それは解決していかなければならないし、状況を冷静に判断してこそ、最良の路が開けると考えているからである。感情に流されていては、満足はできるかもしれないが、抜本的な解決はできないような気がしてしまうんである。
 

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