プロセスか結果か?
「目標を持ち、そのビジョンに向って努力する」のは、素晴らしいことらしいが、最近はほどほどがいいんじゃないかと思う。
私は永住権のために、中国からの出国をあきらめたり、或いは中国人の同僚に脅されたし、転職したくとも出来なかった。これらのことは私の精神状態を追い詰めたし、追い詰められたからこそ途中で降りられなくなった側面がある。ここであっさり白旗を揚げられるような、肩の力の抜けた性格であったならばと思う。周囲を見渡しても私のような第一子は、へんなところで肩に力が入ってしまうことが多いように見受けられる。
永住権というものが当時の私にとっては輝く目標であって、その目標のために全てを抑えていた。しかし私が永住権を手にした時には、永住権の特別待遇はなくなっており、表彰されると口頭で聞いていたがそういうこともなく、生活は何も変わらず、永住権が非常に色あせて見えたし、永住権のために自分の精神状態を犠牲にし、幸せが奪われていたことに改めて唖然としたものであった。私は何をやっていたんだいということだ。
ずっと自分を抑えてきたので、抑えることが普通の事になってしまっていて、結局自分がどうしたかったのかが分からなくなり、いつもの癖で「こうした方が得」とか「こうするべき」とか「私以外は誰も責任をとらない」という観念で判断し、更に自分を抑え込んでいるのだが、まあこういうのが私自身なのだから仕方がないんだと思う。
末っ子の友人と話すと、彼らにはこういう気負いのようなものが全くないのが、とてもうらやましく思えるのだが、
人によっては、あまりに気負いがなさすぎて、あまり良い結果になっていないので、どっちもどっちなのだと思う。要はバランスなのだなあと思うので、周囲をよく観察し、時機を見て、あまり気負わず、楽しくやりたいものだと思う。
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