日本で思ったこと
日本に帰って思ったこと。
1.パロマ湯沸かし器事件、シュレッダー事件
メーカーの責任を問う事件。私は中国に住んでいるから、湯沸かし器が不完全燃焼して人が死ぬ事件とか、けっこう聞いている。だから常に注意している。私もうっかり換気扇をつけるのを忘れて、台所で髪の毛を洗い(⇒原始的ですねえ)、部屋がガスくさくなって、危ない危ないと思う場面を体験している。
そりゃあ湯沸かし器は、買った当時は安全だろうが、前に使っていた人がどういう使い方をしていたかなんて分からないし、製品が今でも安全とは限らないので、換気扇をつけてから、湯沸かし器を使うのは常識だと思うのだが、それでも事故になったのだろうか? そうでなければ使う側が不注意だったのではないかと私は考える。やはり自分の身を守れるのは自分だけなのである。
シュレッダー事件も不可解。シュレッダーなんて業務用なんだから、何故そんなところで2歳児が遊ぶのか不明である。買って設置しているのも、子供を放置しているのも親なんだから、親に責任があって、メーカーとしてはPL責任は果たしているんだから、謝る必要はないのではないかと思うが、一応謝っておかないと世間がうるさいということなのだろう。私もシュレッダーを使用しているが、やっぱり一気にたくさんの書類を粉砕できるというところに味があるのだと思うのに、差込口を小さくされてしまったら、嫌だなあと思ったりする。
メーカーが対策を練るのはいいことなんであろうが、「こうやったらこういう理由で危険なのよー」とか想像を働かせる部分や考えたり注意したりする部分がなくなっちゃうのは、いいんだろうかと思ったりする。日本は安全だろうが、海外の発展途上国は安全対策がなっていないわけで、そういうところに「安全であって当然」という頭でいくことは、本人のためにならないような気がするし、本人が注意しなくてもメーカーが注意してくれるという他人任せなシステムというのは、単なる甘やかしのような気がする。大人になると、自分が何とかしなければ、どーにもならないことがわんさかあると私は思うし、私自身それでいろいろ苦労もしているが、大人になっても誰かが何とかしてくれると思っている人が実はこの国には多いのだろうか? そうだとしたら、詰まんないだろうなあと思う。
2、オウム事件のその後
大きな書店でふらっとしたとき、宗教の棚をぼおっと見る。恩師2人がオウムについて書いているのを見て面白く思った。 日本は犯罪者に優しい国だと思う。未だにオウム教祖のご家族は信者のお布施で暮らしているらしいからだ。それが本人にとって幸せなことなのかは分からないが、まあ中国だったら、瞬く間に関係者の多くが死刑になったり、弾圧を受けることだろう。
ましてや誰もオウムを研究することなどできないだろう。多分誰も中国では法倫功を研究していないと思う。研究することによって、現在の社会のゆがみを理解し、再発を防ぐということになるのだと思うが、中国に長く暮らしていると、ちょっと違う考えになってしまう。再発を防ぐには密閉し、なかったことにしてしまうのが一番いいことだと思う。
| 固定リンク