謝るということ
「言葉を信じず、行動を重視する中国人」は割と好評で、謝るという行為について、いろいろ文化的に比較してみるのはとても面白いと思っている。先週末に、国貿促に原稿を提出したが、そこでも「中国人の謝罪」について取り上げてみた。私は中国に長くなっているので、中国人の行動による謝罪に慣れてしまっているから、日本の言葉を尽くしての謝罪をもう物足りなく思うようになってきている。
先日某航空会社(欧米系)を利用したとき、乗務員に人種差別的発言があった。もちろんその場でそれを指摘したし、戻ってきてからも日本支社あてにクレームメールを書いた。日本語でクレームレターを書くためだ。その返信が来て、そのレターには「真摯に対応する」など、言葉を尽くした謝罪が書き連ねてあった。私は例によって「ほんとかよー」という気持ちになったので、更に「真摯に対応するとは、具体的にどのような行動をとったのか? それについて説明してくれなければ納得できない。」と書いたが、1月半たっても返事がない。多分言葉だけだったのだと思うし、言葉を尽くせばそれで済むと思われてんだろうなーと感じる。
そういう点では、中国人の方が日本人より立派だと思う。心にもないことで謝られるよりは、「私はこう思うから、こうした」とか、「スタッフはこういう考えがあるから、こうしただけだといっている」とか、明確に言ってくれたほうがいい。他人と自分は考え方が違って当然だし、相手に道理があれば私はそれは認める。ただ謝れば済むと思うのは、気持ちが悪い。悪いと思っていないのに、むやみに頭を下げないで欲しいと思う。まあ、それが日本の文化なのかも知れないが。日本の中には、他人に自分と違う考えがあることすらを認めない人もいるわけで、相手の道理を話しても無駄なケースはある。そういう点において、中国は自由でいいと思う。
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