中国人スタッフにどう接するか
連載で上記表題の文章を書いたが、「温情をもって接する」という結論は日本人同士でも当てはまることだと思うし、別に特別なことを書いたわけでもない。しかし「恒産なくして恒心なし」の人物に対抗する場合には、日本レベル以上の寛容さが要求される。その部分をみて欲しいと思う。
実はあの文章を最初に書こうと思ったとき、主眼にしようと思ったのは、中国の現状として「恒産なくして恒心なし」ということが起こりえるということだった。具体的にこの諺を解説すると、つまり自分の利益のために、道徳も、信用も、周囲への迷惑も顧みず、思うがままに利己的に突き進む人がいるということであり、八栄八辱の「他人を損じて、自己の利益を得る」に相当する。でもそういう中国人は小数だし、そういう人は中国人にも嫌われている。但しインパクトが強く害を与えるから、そういう人が中国人の悪印象に一役買っていることも事実。あんまり悪いことを書きすぎると、中国人嫌いの人に利用されるし、面倒なので、中国人には広い心で仲間として接するという結論に重点を置いて書いたということだ。実際それが大切だと思うからだ。
「恒産なくして恒心なし」という人に対抗するには、同じレベルでけちけち争うのはやめた方がいい。私はこういう人の被害にあったことがあるが、道徳心のなさや不公正をせめても、自分の正当性を主張されるだけだし、後からそういう人が同僚に話すいいわけも「生活していくためには、仕方が無かったんだ。」程度だ。こういう人の被害にあわないようにするためには、器の大きいところを見せ、相手を満足させ、相手に恥ずかしく思わせるしか方法がない。だから中国人でも育ちのいい人や成功している人は、非常に鷹揚で、器が大きいのである。器の大きい中国人の友人が何人かいるが、私にとって宝のような人たちだと思っているし、彼ら彼女らから学ぶものは多い。日本の諺でいうと「清濁を相飲み込む」事ができる人達ということなんだと思う。
今の日本人社会では「恒産なくして恒心なし」ということは、そうそう起きていないと思う。日本は狭い信用社会だからである。スタッフに温情をもち、仲間として接するというのは、恒心がある人との間では可能だし、そんなに難しいことであるはずがない。中国という場で、恒心のない人に対して温情や仲間としての思いやりを示していくのは、非常に難しいことだと私は考えている。
例えばだが、証拠がないだけで、バックマージンに手を染めている疑いが高い社内の人物に、広い心で平常心で仲間として接することができるのだろうか? 自分の評価がその会社の成績で決まるという状況において。しかしこういった状態を緩和し、会社の利益という方向にもっていくためには、相手を責めても無駄で、こちらが真摯に努力する姿を見せたり、仲間として一緒に利益を上げていこうという姿勢を見せないと、どうしょうもないのである。私がそういった心持をもち、それが実行できるようになったのも、実はごく最近のことである。
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