« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月31日 (月)

謝るということ

 「言葉を信じず、行動を重視する中国人」は割と好評で、謝るという行為について、いろいろ文化的に比較してみるのはとても面白いと思っている。先週末に、国貿促に原稿を提出したが、そこでも「中国人の謝罪」について取り上げてみた。私は中国に長くなっているので、中国人の行動による謝罪に慣れてしまっているから、日本の言葉を尽くしての謝罪をもう物足りなく思うようになってきている。

 先日某航空会社(欧米系)を利用したとき、乗務員に人種差別的発言があった。もちろんその場でそれを指摘したし、戻ってきてからも日本支社あてにクレームメールを書いた。日本語でクレームレターを書くためだ。その返信が来て、そのレターには「真摯に対応する」など、言葉を尽くした謝罪が書き連ねてあった。私は例によって「ほんとかよー」という気持ちになったので、更に「真摯に対応するとは、具体的にどのような行動をとったのか? それについて説明してくれなければ納得できない。」と書いたが、1月半たっても返事がない。多分言葉だけだったのだと思うし、言葉を尽くせばそれで済むと思われてんだろうなーと感じる。

 そういう点では、中国人の方が日本人より立派だと思う。心にもないことで謝られるよりは、「私はこう思うから、こうした」とか、「スタッフはこういう考えがあるから、こうしただけだといっている」とか、明確に言ってくれたほうがいい。他人と自分は考え方が違って当然だし、相手に道理があれば私はそれは認める。ただ謝れば済むと思うのは、気持ちが悪い。悪いと思っていないのに、むやみに頭を下げないで欲しいと思う。まあ、それが日本の文化なのかも知れないが。日本の中には、他人に自分と違う考えがあることすらを認めない人もいるわけで、相手の道理を話しても無駄なケースはある。そういう点において、中国は自由でいいと思う。

|

ああ、やっぱり

 ああ、やっぱり最近のスイカはいけないらしい。うちのお手伝いさんによると、おととし頃からスイカやマンゴへの糖分注射が話題になっているのだそうだ。なんでも北京のスイカだったら大丈夫な確率が高いが、地方のスイカは、地方にいる間に糖分と色素を注射され、北京に運ばれて成熟するのを待つそうだ。糖分を注射されていて確実に甘いので、だから売り子は「甘さは保証する」といっているのだそうだ。だから最近のスイカの売れ行きは落ちているらしい。仕方がないので、相談の上、購入してしまったスイカは捨てることにした。中国は物価が安いが、こういう問題があるので困ったものだ。しかし日本も知らないだけでこういう問題があった、或いは現在もあるのかも知れず、実は農民をするのが一番安全で幸せなのかもしれないと思ったりした。とにかく、夏の楽しみが一つ奪われてしまって悲しい。

 今日は連載のオンエア日だ。今回の連載は事実を淡々と書いていて、特に思い入れはない。次回の方が私の体験をかいているので、多分面白いと思う。責任のあり方については、欧州に長いブログ仲間のぽん太さんにもご意見を頂いたので、本当にありがとうございました。今後は職場におけるリーダーシップなんかについても書いてみたら面白いかなあと思う。責任の捉え方が違うから、リーダーの役割も違うという意味で。そういうことを考えるのが一番楽しいので、今日は全く幸せだ。

|

2006年7月30日 (日)

吉凶こもごも

 昨日は残業の帰りに、行きつけのDVD屋で「女系家族」の圧縮版を10元で購入。子供達が寝静まった後に1時間ほど見たところ、画面が止まり、再スタートを押すと、なんと「女系家族」でなく、矢田亜希子主演のドラマになっていた。がーん。早送りをしたところ、どうもこれ以降すべて矢田亜希子のドラマで、米倉涼子や高島礼子は一切拝めないようだ。がっかりだが、まあ10元で1時間楽しめたんだから、まあいいやと思うことにする。

 今日は家に野菜がぜんぜんないので、八百屋に買い物に行き、大好物のスイカを買い込んだ。500グラム0.5元で5.6元。家に帰っておいしいおいしいと食べていたら、「スイカは辞めたほうがいい。最近スイカに色素と砂糖を注射するのがはやっているという噂がある」と夫にコメントされた。がーん。スイカぐらいお腹が痛くなるまで思う存分食べたいのに、水をささんでくれー。しかし案外本当かと思うので、スイカを食べるのを辞めた。実はこういうのは中国ではよくありがちで、97年に工場に勤務していたときには、工場が水豚(水を注射された豚肉)を掴まされて歩留まりが悪く問題になっていたことがある。私は素人なので見抜けないが、日本からの職人は見分けられるわけで、このスイカも同様かなあと思い、いやーな気分になる。そういえば去年のスイカより赤くて甘いような気がする。うちのお手伝いさんは最近桃や葡萄ばかり買っていて、スイカを買っていないのも噂のせいなんだろうか?

 今日は午後から、行きつけのスポーツクラブに息子と行き、壁うちテニスと水泳を楽しんだ。私は球技オンチで、息子が笑うくらいテニスが下手で、スカッシュルームの天井の電気に球が命中しちゃったり、角に飛んだ球が変な方向から流れてきて、きゃーきゃー叫んだりと、すったもんだした。でも球を打つのは楽しいので、トータルで1時間くらい白熱してしまった。球技に目覚めてしまったら、きっと楽しくて仕方ないんだろうなあと思う。(私はもう一生目覚めることはないと思うが。)子供達には是非、球技が得意な人になって欲しいと、自分の夢を押し付けていたりする。

|

2006年7月29日 (土)

思案する

 今日は子供のテニスのお稽古に行き、ついでにプールで泳ぎ、サウナを40分程楽しんだ。汗をかいてとてもいい気持ちだ。体が軽くなった気がする。リフレッシュのお陰で午後からの残業も順調。もっと運動の頻度を増やそうかと思う。

 自由に動き回るためには、自分で車を運転したほうがいいのだと思うが、私は若い頃から助手席専門なので、いまだに免許をもっていない。8000元で北京で免許が取れるらしいが、教習所に通うかどうか思案している。実は去年の秋から思案していて、思案したままなのだ。運転したらしたで楽しいだろうが、交通事故でも起こした暁には外国人なので非常に面倒くさいことになりそうだ、というのが思案する原因。北京の郊外をよく走るが、乗用車が農民の自転車に接触した場合、農民は別に体がおかしくなくても、絶対に立ち上がらない。要するに文字通り「転んだら、ただでは起きない」なのだ。そういうのに、私が対応できるのかというのは疑問。というか対応したくないと思っている。まあ日本に帰って教習場に通うのは30万円くらいかかるらしいので、今のうちに行っておくのも手なのかも知れない。

 今日小耳にはさんだ面白い話は、政府機関や国営企業の人間の収賄がどのようにばれるかという話し。愛人からばれるらしい。ある新聞記事によると、収賄するような人はおおよそ愛人を1~数人抱えていて、そういった愛人は手を切るときに不動産やお金をねだるらしい。手切金をケチった場合に、得るものの少ない愛人が怒って公安に密告するのが契機になるケースが多いようだ。日本人駐在員のおじさんからも、現地の愛人と手を切るときに乗用車や店をプレゼントした話しなどを聞いたことがあるが、そう考えると中国人のそういう女性はしたたかである。
 
 しかしまあ、彼女達は愛情のために付き合うのではなく、お金のために付き合うと言うこともできるわけで、それは言い換えれば「売春」ともいえるわけで、いい事ではないような気がする。しかしそれでも、我々日本人女性が男と付き合ってすぐに別れる場合、「遊ばれちゃった」とか「だまされた」とか嘆くこともあるわけで、そうやって嘆いて損してるような気持ちになるくらいだったら、中国人のそういう女性のように物でも貰って心の平衡を保ったほうが前向きで良いようにも思われる。何がいいのか、私としてはよく分からない。

 まあ最終的に若い人たちにアドバイスすることとしては、「男は選らべ」ということなんだろうなあと思う。いろいろ話してみると、ぽろっと漏らした一言で、結構その人の価値観とか、物事が分かってしまうことがある。言葉とは面白いものだと思ったりもする。

 

 

|

2006年7月28日 (金)

夏の花火

 取り掛かる仕事がチェンジになるので、気分転換に一服。

 昨日は仕事が早く終わったので、近所の服装市場に服を買いに行った。私は絶対にワンシーズンに1~2着服を新調する。趣味だからだが、新しく美しい服を着ると、背筋も伸びるし、がんばろうという気になるから不思議だ。このまま太っては拙いなあとか、もうちょっとこの部分を注意しようとか、そういう動機にもなる。われながら馬鹿だなあとおもうのは、新しい服を着ると「私もまだまだ大丈夫」という錯覚を持ってしまうところ。まあ、とにかく好きな物は、できれば我慢しないほうがいいし、気持ちもよくなれるのだから、新しい服は買い続けるだろう。

 昨日は友人に連絡を取ろうと思ったので、友人が最近書いているものなどをチェックした。その中でよかったのが、「玄侑宗久さんのインタビューhttp://jinjibu.jp/GuestIntvw.php?act=dtl&id=69」。「”楽しいことをする”のではなく”することを楽しむ”」とか「”がんばれば、いつか報われる”という考え方をしない」とかのフレーズが、私は大好きだ。ちなみに私は寿司は好物から食べるタイプである。何にせよ、明日の事はわからない、今を楽しむばかりである。ちなみにこれを書いている友人は現実派なので、時に非常にシビアな意見を聞かせてくれ、私は大好きだ。

 ついてに日経のサイトで、花火特集を見る。中国は春節や元旦などの冬の祝日の前日の夜に、爆竹と共に自ら花火を上げる習慣がある。寒いので私は中国では花火を上げないし、家の中から音を味わうくらいだ。中国で夏の花火を見たのは1回だけで、2000年にオリンピック開催が決まったときに政府主導で打ち上げられた花火だった。もう何年も夏の打ち上げ花火を見ていないので、夏に帰国するときに足を伸ばしてみるのもいいかもと思ったりする。

|

2006年7月27日 (木)

刷り込み

 今朝は出勤の車の中で「十和子塾」の君島十和子さんと、元アナウンサーでフランス人と結婚してフランスに住む中村江里子さんのインタビューを読んだ。中村さんいわく、フランス人はエレガントというが、私はほんとかよーと思う。

 フランスに行った私の行ったところというと、観光地か、フランスの移民街か、中華街か、庶民向けスーパーか、ほんの少しブランドの店なので、エレガントな人がいない場所ばかりなのかも知れない。もちろん貴族なんぞにはお目にかかっていない。だから見ているものに限界があることは重々承知している。
 しかし列車に乗ったときの印象から、フランスというのはあくまで農業国家なのだと思ったし、税関や街でフランス人と並んだが、半数は私より背が低く、しかも私の2倍おでぶな人たちが殆どだった。エッフェル塔の公園は犬のウンチだらけで、宿があったイタリア広場は浮浪者が住んでおしっこくさかったし、フランスはエレガントな国だとは少しも思わなかった。中国の国貿とか日本の銀座のOLなんかの方が100倍おしゃれで、エレガンスだと思ったのだが。フランスを訪れる日本人や、中村さんはそうは思わないのだろうか?
 
 フランス人のエレガントな女性は自分の考えをもっていて、それを話せるというが、まあ日本人の中には男女問わず何がいいたいんだかよく分からないことを話す人もいるが、そういう人はエレガントではないし、どこの国にもいる。日本にも自分の考えを話せる女性は結構いるし、ありがたいことに、私の友人はだいたいそういうタイプだ。中国人の教養ある友人もそう。今更フランスはフランスはと言われても、違うんじゃないかと思ったりする。そろそろ日本も、刷り込まれた西洋崇拝はやめ、自分の目で物事を比較してもいいんじゃないかと思う。

 それから思うことだが、中国在住の日本人は中国の悪口も書くが、中村さんのようにヨーロッパ在住の日本人はあんまりヨーロッパの悪口は書いていないような気がする。読み手に刷り込みがあるせいなのかも知れないが、書き手にも刷り込みがあるのだと思う。私もコラムを書いているが、こういった刷り込みを配慮する必要もあると思っている。「良い悪い」ということについて書いているわけでないのに、読み手に刷り込みがあるせいで、そのように捉えられてしまうところがある。

|

2006年7月26日 (水)

今日もいい気分

勤めている会社で給食がはじまって1ヶ月というところ。日本帰りのスタッフと私は、日本食が好きなので食べ過ぎて、太ってきたということが発覚。私はいつもの体重に+2キロオーバーでかなりやばい。日本経験のないスタッフは、いつもの油たっぷり中華からヘルシーな日本食になったので、逆にやせて体調がいいんだそうだ。全く面白いものである。

家で連載の原稿を書きながら、疲れたといったら、娘に「また連載のコメントで、訳の分からないことを書き込まれて、暗くなっているんでしょ」と言われ、考え事をしていて口を尖らせている私の真似をしてみせた。私が「そうそ、こんなに何度も書き直して力を尽くしているのに、訳の分からないことを言われて、全く馬鹿みたいだよ。あーあ、原稿料上げてもらおうかなあ~」とぼやくと、娘に「あなんたは贅沢だ。宮沢賢治は1本も小説が売れなかったそうだ。でもきっとあんたよりもいいものを書いている。」と言われた。妙に納得した。
 

|

2006年7月25日 (火)

平和

 昨晩雨が降ったので、今日は曇って湿気のある気持ちいい天気だ。緑が雨に打たれたにおいが立ち上るのが良い。高原に来たみたいだ。緑の立ち込めるようなにおいが大好きだ。今日はもう子供たちが夏休みになったので、お弁当を作る必要もなく、送りに出る必要もないので、非常に気楽だ。朝は食事を作るだけで、ゆっくり身支度が出来るのが嬉しい。今日はベージュのワンピースに、ターコイズブルーの羽織物と靴を合わせて、これもなかなか決まる。服や着物が大好きなのは、血筋なのかなあと思うが、こんなことで気持ちがよくなるのは単純で嬉しいことである。

|

2006年7月24日 (月)

ついつい

 私は割と文章を書くのが得意なので、ブログとか友人へのメールは、書くのがものすごく早いのだが、その分頭で思っていることがそのままキーボードに繋がってしまったりすることがあり、いいすぎ、ならぬ書きすぎをしてしまうことがある。注意が必要だ。昨日書いたブログも、現実的すぎて、「あんたには夢も何もないじゃないか」と言われそうなので、こそこそ訂正した。まあもうちょっと夢とか、余韻を持たなければと思ったりする。

 今日はお手伝いさんによると北京の温度は26度なのだそうだ。とてもさわやかな気候で、今日はノースリーブのワンピースを着ているが、涼しいくらいである。今日着ているのは市場で買ったブランド横流れ品なので、安い割りに質がよく、歩くたびにワンピースのフリルが優しくゆれるのがなんともいえない。やっぱりきれいな服を着ると背筋が伸びるというもので、女性にはきれいな服は欠かせないものだと思う。 

|

2006年7月23日 (日)

21(金)分が消えちゃったので

 21(金)分は、確か何かを書き込んでいたのだが、消えちゃったので、今ちょうど残業が終わったばかりで、時間があるので、21日の分だと思って、書いてみる。

 昔の友人にコメントを貰ったので、ちょっと昔のことを思い出した。だから今日は、昔話を書いてみようと思う。

 私は昔から年上の男が好きなのだが、まだ私が学部生だった頃、付き合っていた男は当時ちょうど新入社員だった。何らかの拍子に、彼が先輩との付き合いで風俗に行ったころがバレて、大喧嘩になったことがある。今思うと、結構面白い男で、大喧嘩の問答のうちに、「風俗もマッサージと同じ、人を気持ちよくするためにある。風俗はある局部を念入りにマッサージするにすぎない。」とか、「売春婦も専業主婦も本質において同じ。切売か一生の契約かの違いに過ぎない。」という迷言を吐いたことが今でも強く印象に残っている。
 特に後者の発言は、専業主婦に対して失礼なんじゃないかと思う。彼のお母さんだって専業主婦だったというのに。結論として、私はその意見には賛成できなかったので、この争いを最後に分かれた。その後彼がどうしているのかは全く知らない。但しこの迷言、「性の力」という意味で分析してみると、非常に面白い言葉だと思う。私の恋愛感にも大きな影響を与えた一言である。

|

そんなもの

 ここ数日落ち込んでいた。というのは、私もずいぶん前から懸案だと思っていて、努力していて少しは良くなったかなあと思っていた事について、「まだまだ」とある人から指摘を受けたからである。責任感と親切でおっしゃってくれるのが分かるし、私も力を入れていることだけに、事実に落ち込むが、まあ前へ進むしか仕方が無いということであろう。指摘してくれた人は知らない事だが、去年よりだいぶいいので、私はそれを信じて真っ直ぐに進むしかない。

 昨日は残業の後、子供たちと泳ぎに行き、サウナにも入ったら、何だか気持ちが前向きになってきた。ほーんとシンプルなものである。ついでに帰ってからクラッシックの歌劇を聴きながら、画集を見ていたら、とても気持ちが晴れたから不思議だ。歌を聴いていたら、ふっと昔の事を思い出し、コメントに書き込んでくれたのが誰か一瞬のうちに分かった。「そうか、今、アメリカにいるのか!」と思ったらにやけてきた。多分S区出身のSだと思う。とても懐かしく、暖かい気分になる。友に幸あれと思う。

|

2006年7月22日 (土)

神様

 5月にフランスに行ったがとてもよい経験だったと思う。フランス人は中国人とそっくりなのだ。しかしフランスと中国の決定的な違いは「神様がいるかどうか」だと思う。フランスでは町のいたるところに教会があるのが、とても面白く、いろいろ見物させてもらった。多分欧米駐在経験者が「中国は欧米と似ているが、もっとやりづらい。」というのはそのへんにあるんじゃないかと睨んでいる。「欧米人はなんだかんだいってキリスト教的な考えが根深いので、嘘は悪いこととか、フェアーであるかどうかという考えがある。日本人は自称無宗教という人が多いが、それでも社会を信じていたりする。中国人は自分しか信じていない。」という感じだろうか。そのへんを上手く纏められるといいなあと思っている。こういうことを考えているのが一番楽しい。私は物事を深く考えてしまうたちなので、こういうどうでもよいことを、深く深く考えていくのが、自分の精神状態のためだとも思っている。だから連載を持っているというのはとてもありがたいことである。多分妄想家なのだが、妄想とは両刃の刃なので、上手く妄想を出力するということには、一番気を遣うべきだと周囲を見て常に思っている。

最近は仕事が多くて疲れていて、昨日は帰るなり11時間も睡眠をとってしまった。こういうときに限って気分転換ばかりしている。今日も残業だが、これから頑張ろう。

 

|

2006年7月20日 (木)

まじめ

 ちょっと悩んでいる。多分私がまじめすぎるので、物事を真剣に捉えすぎているのだと思うし、なかなか他人には私の真面目さの尺度が理解されないものである。まあ、それはそれでいいのだが、考えても仕方が無いことなので、極力考えないことにする。
 まじめさというのは両刃の刃で、無理をしているので、脳みその割りに高い学歴があって、その学歴に基づいてプライドが高くなっていて、果てにはそれに苦しめられたりしている。まじめでなければいけないということは、ずっと刷り込まれてきたし、真面目でいると良い結果になると刷り込まれてきたが、実は決してそれは事実ではない。フランス人の無責任運転手のように、顧客が怒っても涼しい顔をしていられたら、何と幸せだろう。まあ私のような変な自負のある人間は利用しやすいので、ある程度社会の役に立っているのかもしれないが、本人は辛い。
 でも辛い人はいくらでもいるので、考えるだけ損なので、もう考えないようにしようと思う。

|

法には法で対抗

 前にも書いたように、うちのマンション群では、電気ボイラー設置の是否でもめている。私は家主ではないので「各自が責任をもつのもいいじゃーん」としか思わない。だって冬とか、たまにお湯が冷たくて冷え性の私じゃお風呂に入れないときがあるからだ。
 しかし聞くところによると、電気ボイラーは安全性の問題があるのだそう。更に今までは「24H温水供給」が売りだから高級マンションの範疇に入っていたが、それがなくなると不動産の価値が下がってしまうのだそうだ。これは散歩しているときに、家主委員会の代表のおばさんにつかまってしまって、つばを飛ばされながら拝聴して理解した。
 マンションの掲示板では、発足したばかりの家主委員会の代表者たちの名簿が張り出されていた。総代表は60歳の共産党退職幹部で大卒、殆どは高年齢の退職した人たちだが、やっぱり弁護士も混じっている。電気ボイラーを阻止するために、不動産契約違反の旨で裁判に持ち込むといきまいているらしい。

 面白いのは家主委員会発足とそのメンバーの掲示に対抗して、マンション管理会社が「費用未支払いの以下の人達について、今月中に支払いが無ければ訴えます」という掲示を掲げていた事。ここにリストアップされている人たちは家主委員会の代表が中心で、この掲示によると、家主委員会の総代表はなんと96年以降の3万元の管理費が未払いであるそうだ! 
 私は「管理会社が電気ボイラーを選択するのは、あんた達のように、払うべきものを払わない人がいるから、経営が成り立たないからなのに、”条件は欲しい、お金は払いたくない”というのはいかがなものか?」と思う。まあ、中国ではありがちな事なのだが。しかし聞いていないので分からないが、彼らにはきっと彼らの道理があるのだろう。管理会社の掲示を見た翌日に、掲示板の前を通りかかったが、管理会社の掲示は何者かによって破られてなくなっていた。

 この話が、これからどう展開するかが、楽しみである。

P.S.もう夏なので、帰省について考えなければならないが、日本は物価も高く、私の実家はとても変わった家なので、帰っても安らげないだろうなあと思われるので、気が進まなくてうだうだしている。全く、このお金でアメリカにでも行きたいものだが、子供の日本語教育の問題などがあるので、仕方が無い。最近つくづく思うのは日本はすごく不思議な国だということ。貧乏人がいないし、貧乏だと言って親から仕送りを貰っているシングルマザーが何故かブランドバックをもっていたりする。貧乏というなら節約しろよと思う。何か間違っている。

|

2006年7月19日 (水)

客層

 昨日、車での帰宅途中、不思議なものを見た。高速から降りて、都市化しつつある農村を走り始めた時の事である。農民経営のレストランの道路に面した駐車場部分で、3匹の大型の猟犬が、マルチーズのような毛が縮れた小型犬を追いかけ廻し、猟犬2匹がマルチーズを引っ張ったり、口でくわえてさらっている姿を見かけた。マルチーズが大きな声で泣き叫び、それをやめさせようと農民が杭をもって猟犬を追いかけていて、大騒ぎだったので、周囲の人があきれたように突っ立って、その様子を眺めていたのだ。マルチーズからは血が流れていなかったので、猟犬の考えとして、これは遊びだったのだろうか? 犬の事は分からない。

 犬の動きも荒唐無稽なものだが、私がふーんと思ったのは、近くの床屋の客。都市化しつつあるこの農村では、路沿いに2軒の床屋がある。肌を露出した妙に色っぽいお姉さんが常駐していて、いつもピンクのライトをつけているので、多分あやしい「理髪店」なのだと思うが、そこのお客がどういう人なのかを、今回たまたま観察できた。犬事件の観察のために、店先に皆が出てきていたからである。どれも地元の農民と思われる男達三人で、一人は北京市の公共バスの制服を着ていた。中国では売春も風俗も違法なので、隠れ蓑として「理髪店」として営業しているのだが、誰がみても怪しい店は怪しい。しかしあくまで理髪店なので、村のはずれとはいえ、子供達も多いところで営業していて、これでいいのかなあと思ったりする。 

|

2006年7月18日 (火)

直接聞いてみる

 今日は初めてのお客様にご挨拶に行ってきた。弊社が調査しなくても、相手から聞いて分かる内容だったので、相手に直接聞くことを薦め、コミュニケーションを取る必要を話しをして帰った。中国は神様のいない国なので善悪とか罪という意識はない人もいるが、そのかわり論理は尊重してくれる人たちだと思う。「恥」という気持ちがあるので、相手を責めずに、大勢の前で正論をいいうのはとても効く。

|

2006年7月17日 (月)

爆竹の代用品

 中国人はにぎやかなのが好きなので、お祝い事の際には爆竹を鳴らすのが習慣だが、まあ都市生活にはそれがそぐわないわけで、その代用品としてクラッカーがしばしば使われている。クラッカーといえば小さな三角錐だが、あの小ささでは中国人を満足させることが出来ないので、卒業証書を入れるくらいの筒に進化していて「花礼(だったと思う)」と呼ばれていたりする。クラッカーと比較して倍以上大きいので、それなりに激しい音が出るんである。

 昨日テレビの週間ニュースを見ていたら、この大型クラッカーが実は危ないという話題を取り上げていて、2つのシーンが放映されていた。つまりクラッカーはお祝いの席で使われるので、決定的瞬間がビデオで撮影されているんである。1つめは爺さん婆さんの金婚式のお祝いか何かで、大量のクラッカーが鳴らされていたが、何を思ったか大型クラッカーが天井のガラスのシャンデリアに向けて発泡されて、欠けた大きなガラスの塊が老人の頭を危なく直撃するところだったという映像。もう一つは結婚式のシーンで、ウエディングドレスを着た花嫁に、お客4.5人がスプレータイプのテープ(要するに整髪ムースのような缶入りのスプレーで、液を発射するのだが、液が空気に触れてカラフルなテープになるってやつ)を盛んに吹きかけてキャーキャーやっているのだが、そのうち何を思ったのかお客の一人が花嫁に向けてクラッカーを鳴らし、クラッカーの爆竹成分が、スプレーの気体成分に引火して、花嫁のウエディングドレスが火達磨になり、てとんでもないことになったというもの。まあ花嫁は軽いやけどで済んだようだが、医務室でないているシーンなどもちゃっかり撮影されていて、申し訳ないけど笑ってしまった。まあ、皆さんも中国人との宴会の席ではくれぐれも気をつけよう。

|

2006年7月16日 (日)

居委と業主委

 つまり「住民委員会と家主委員会」いうことである。マンションの住民委員会はすでにあったが、最近になって家主委員会ができたらしい。家主が管理会社に対抗するためにこの会は結成されたようで、入り口のところで発起人の家主が、帰宅する別の家主を捕まえて署名させ、家主委員会発起大会を開催してめでたくこの会はスタートしたらしい。どんな問題に対抗するのかということについては、ボイラーの問題である。元来はマンションが石炭を買い込んでボイラーでお湯を焚き、マンション地区に給湯し、また冬にはスチーム暖房を提供していた。しかし今後これを取りやめ、各家庭にマンション指定の電気ボイラーを購入させ、各戸が各自暖房と給湯に責任を持つという形に変更すると、管理会社が通知したのである。
 この背景には、暖房費や給湯費を払わない家の存在がある。例えばスチーム暖房は全館型なので、そこに人が住んでいようが住んでいまいが、料金が発生する。ところが投資用に購入している人が居て、そういう人が払ってくれないことがある。また住んでいても払わない人もいる。だから管理会社がそういう選択をするのも分かるような気がする。しかし住人の側としては、電気ボイラーは金も掛かるし、安全性にやや問題があるのだそうだし、部屋の購入時の条件にそれが盛り込まれていなかったという意見があるそうだ。この問題が今後どうなるのか分からないが、吾は家主ではないので、楽しみに待つことにする。

|

2006年7月15日 (土)

農家菜

 要するに農家が経営する農家で作った野菜を素材とした農家が営むレストランということ。今日は久しぶりに我が家から北へ向かい山地をドライブした。2年前と違って舗装がきれいになっているし、農家レストランが増えている。5分おきに見かけるくらいに。北京市街地でマイカーをもつ人が増え、また休日にドライブをすることが習慣になりつつあるということがその背景にある。
 我々も開店したばかりのレストランで食事をしたが、4人で合計100元。市内のレストランで食べるよりはやや安い程度の値段だから、野菜など原価が掛からない農家としては、いい収入なんじゃないかと思う。現在農民の自立支援政策がとられているから、農家レストランは納税の必要がなく、管理費として「5千元の売り上げに対して100元」を支払う必要があるのだそうだ。
 メニューはいわゆる「家常菜(家庭料理)」であり、私は玉蜀黍の粉を丸めて焼いたものなどが、特徴のある料理となっている。

|

2006年7月14日 (金)

北朝鮮

 北朝鮮に行ってみたいものだと言っているが、昨日貰った日本語情報誌に「高麗航空で行く、平壌、開城の旅! 北京発着 アリラン祭り観覧ツアー」というのがあった。値段は高く、2-5名で申し込む場合、旅行代金は4日間コースで139,000元/人、5日間コースで161,000元/人である。マスコミ関係者はビザが出ず、ビザ料金は+1万円、他にアリラン祭り入場券やサーカス参観料などが別途かかるようである。「なーんだ、これだったらまたフランスに行って(だいたい同じ値段)、ルルドの水でも飲んできたほうが、ご利益あっていいじゃん。」と思う。
 
 

|

コメントについて

吾連載についてコメント欄がついてから大分経つが、私の文章が平易であるため、いろいろな人が書き込んでくれ、事実上2チャンネル状態になっているんじゃないかと思うことすらある。

コメントを読んで「ふーん」と面白く思うのは、私が主題として書いたところでないところが気になる人が結構いることと、コメントの記述でその人がどういう視点に立っているのかが分かるということである。

私としては中国滞在が長くなっているので、もはや「善悪」とか「正しい正しくない」という尺度でモノを語れなくなっている。だから「善悪」とか「正しい正しくない」という捉え方のコメントを見かけると、その内容よりも、そういうコメントを書けることがうらやましく思える。

また現地にいる人間の一人として私もそれなりに苦労しているわけで、文章には苦労や葛藤を主観的に書かないようにはしているが、それは同じ苦労をしている人間であれば行間に読むことが出来るように書いてある(と思う)。それが読めていないなあと思われるコメントを見たりすると、ある意味、読めないことをうらやましく思ったりする。

文章には筆者の思考が現れるが、それと同時に読む側も、人によってその捉え方も違うし、その捉え方には読む人の経験が現れるのである。だから文章とは筆者の手を離れて独りで歩いていくものなのかもしれないと思った。私自身だって、夏目漱石の「こころ」の捉え方が、中高時代と30代は大きく異なっている。だから受け手の心次第で文章の印象というものは変わってくるもので、その個々のコメントの内容を気にする必要もないのではないかと思うに至った。コメントを書いてもらえるということは、私の書く文章に何かインスピレーションを得てくれたということで、それだけで十分有難いことなのかも知れない。まあ、私が女だから、ものがいいやすいってのもあるんでしょうけどね。まあ、なめられている部分があるかもしれませんが。

|

2006年7月13日 (木)

中国人スタッフにどう接するか

連載で上記表題の文章を書いたが、「温情をもって接する」という結論は日本人同士でも当てはまることだと思うし、別に特別なことを書いたわけでもない。しかし「恒産なくして恒心なし」の人物に対抗する場合には、日本レベル以上の寛容さが要求される。その部分をみて欲しいと思う。

実はあの文章を最初に書こうと思ったとき、主眼にしようと思ったのは、中国の現状として「恒産なくして恒心なし」ということが起こりえるということだった。具体的にこの諺を解説すると、つまり自分の利益のために、道徳も、信用も、周囲への迷惑も顧みず、思うがままに利己的に突き進む人がいるということであり、八栄八辱の「他人を損じて、自己の利益を得る」に相当する。でもそういう中国人は小数だし、そういう人は中国人にも嫌われている。但しインパクトが強く害を与えるから、そういう人が中国人の悪印象に一役買っていることも事実。あんまり悪いことを書きすぎると、中国人嫌いの人に利用されるし、面倒なので、中国人には広い心で仲間として接するという結論に重点を置いて書いたということだ。実際それが大切だと思うからだ。

「恒産なくして恒心なし」という人に対抗するには、同じレベルでけちけち争うのはやめた方がいい。私はこういう人の被害にあったことがあるが、道徳心のなさや不公正をせめても、自分の正当性を主張されるだけだし、後からそういう人が同僚に話すいいわけも「生活していくためには、仕方が無かったんだ。」程度だ。こういう人の被害にあわないようにするためには、器の大きいところを見せ、相手を満足させ、相手に恥ずかしく思わせるしか方法がない。だから中国人でも育ちのいい人や成功している人は、非常に鷹揚で、器が大きいのである。器の大きい中国人の友人が何人かいるが、私にとって宝のような人たちだと思っているし、彼ら彼女らから学ぶものは多い。日本の諺でいうと「清濁を相飲み込む」事ができる人達ということなんだと思う。

今の日本人社会では「恒産なくして恒心なし」ということは、そうそう起きていないと思う。日本は狭い信用社会だからである。スタッフに温情をもち、仲間として接するというのは、恒心がある人との間では可能だし、そんなに難しいことであるはずがない。中国という場で、恒心のない人に対して温情や仲間としての思いやりを示していくのは、非常に難しいことだと私は考えている。

例えばだが、証拠がないだけで、バックマージンに手を染めている疑いが高い社内の人物に、広い心で平常心で仲間として接することができるのだろうか? 自分の評価がその会社の成績で決まるという状況において。しかしこういった状態を緩和し、会社の利益という方向にもっていくためには、相手を責めても無駄で、こちらが真摯に努力する姿を見せたり、仲間として一緒に利益を上げていこうという姿勢を見せないと、どうしょうもないのである。私がそういった心持をもち、それが実行できるようになったのも、実はごく最近のことである。

|

2006年7月12日 (水)

夜の散歩

 昨日は帰宅すると急にカレーが食べたくなったが、ルーもカレー粉も切らしていたので、子供を寝かしつけた9時頃に、カレーを求めて近所をさ迷った。北京郊外の夜の散歩は、日本の昭和30年代っぽい風情があり、とても楽しい。写真を添付できればいいが、今吾がデジカメは子供達のおもちゃと化しているので、文章だけで想像してほしいが、都市インフラが整っていないので街灯がなく、店先が電球や豆電球で照らされていて、明かりと闇のコントラストが絶妙なのである。マンション群の入り口の広場では、暗闇の中で中華風のダンスソングが流れ、おばあさん達が華麗なステップでたるんだ体を翻して踊っている。少し歩いていくと市場横の繁華街で、よれよれの服を着たおじさんが、ラジオを聴きながら、たたずんで日常雑貨店やフルーツ店の店番をしていたり、たくさんの豆電球で照らされた安普請のレンガ作りの店の店先に、プラスチックの椅子と机が置かれ、地元の人たちがビールを飲んだり、焼き鳥を食らっていたりする。のんびりとした時間の流れがたまらず、観光旅行にきているような錯覚を覚えた。
 ところで散歩の収穫はというと、カレーのルーは売られていなかったが、カレー粉は購入できた。まだ中国ではカレーライスは普及していないのだ。多分カレー粉は中国ではカレー粉炒めみたいな料理に使われているのだと思う。しかし味の素のレトルトカレーがかなり頑張っていて、北京から車で40分の郊外のスーパーでも販売されていた。散歩の途中で、血迷って、半透明のフリルや、きらきらしたビーズのたくさんついた、とても中国のオフィスや日本では着られないようなTシャツを見かけ、買いたくなってしまったが我慢した。

|

2006年7月11日 (火)

お手伝いさんの息子

 昨日は時間があったので、うちのお手伝いさんと話をした。うちのお手伝いさん(もちろん中国人)の息子はちょうど大学受験なのだが、成績が振るわず、まだ学校が決まらないのだそうだ。お手伝いさんに言わせると、息子は中学生の時は成績が良かったが、高校生になって彼女ができて、クラスのTOP3位くらいから、順次成績が落ちてきて、卒業時には成績は中位になってしまったのだそうだ。彼女ができてもけじめがあればいいじゃないかと私は思うが、お手伝いさんによるとけじめがないのが問題で、廊下で2.3時間も話していたり、彼女を思ってボーっとしていたりして、時間を無駄に使っていたのだという。お手伝いさんによると、彼女の時代にテレビや漫画が無かったので、親のいうことは聞くものだとおもっていたが、現代はテレビや漫画で盛んに恋愛を宣伝しているので、影響されやすい高校生は恋愛を始めてしまうのだという。さすがに3年生になったとき、これではいかんと受験勉強にせいを出すようになったが、2年間のブランクが取り戻せなかったのだそうだ。
 お手伝いさんからは、恋愛にはまって成績が落ちた子供の例をいくつか聞かせられた。ふーむ、テレビは有害である。私は恋愛はそういいものだと思っていない。高揚感は楽しいが、期間限定の高揚感なので麻薬みたいなものだし、高揚感のせいで判断をあやまることもある。テレビや漫画がこぞって恋愛を宣伝するのは何故なのだろうか? よくわからん。

|

2006年7月10日 (月)

身軽でありたい

 高校時代にワンダーフォーゲル部だったこともあって、総じて私は身軽である。例えば1泊の出張に行く際も、いつも持ち歩いている茶色のかばん一つだったりする。いつも持ち歩いている仕事セットと、財布類と、化粧セットに加え、出張の時には、仕事にも使えるニットの上下と下着ワンセットとクリームくらいしか荷物に加えない。というのは、「荷物が重い」という状態が嫌いだからだ。荷物が軽いと、飛行機を降りた後預けた荷物を待たなくていいし、宿に寄らずに直接訪問先に行けるものだし、地下鉄やバスにも軽く乗れる。それに荷物が少ないと整理整頓も簡単で、忘れ物をしないで済む。

 身軽なのは資産の面でもそう(笑)。学生時代の友人達(既婚組)が次々と夫名義で家を買い始めている中にあって、家なんて買いたいとこれっぽっちも思わない。友人達は「ローンでたいへん。牛肉が買えない。」とか家を買えない私を慮ってくれている。実際、買えないんだが、個人的には買う気がないのだと思っている。もちろんお金が腐るほどあったら買っているかも知れないが、ローンを組んでまで買いたいとは思わない。

 友人達の談によると、「借りていたら何も残らないけど、借りているのと、毎月同じ位の出費で、家が自分のものになる。」のだそうだ。しかし転勤族の関西出身のお客さん(友達モード)は「阪神大震災で、家は失われたけど、ローンは残った。自分は転勤族でどこに住まうとも分からないのだから、家なんて買うだけ損、損。」と言う。多分単に「食べられないぶどうはすっぱい」ということなのだと思うが、私も彼と同じ考えである。うちの父親が家と土地に固執するせいで遠距離通学通勤に悩まされた私としては、ライフスタイルに合せて棲家を選びたいと思うし、そのために荷物も最低限でいいと思う。

 しかし、だ。私は常に「今は仮住まい」と思っているが、それには悪い面もあると思う。我が家はよく言えばシンプルであり、悪く言えば文化がないかも知れない。なんか食器とか、仮住まいだと思っているから、日本の100円ショップで売っているようなのを使っている。学生時代に使用した専門書がダンボールに入ったままになっていて既に10年である。子供が貧乏臭くなると困るので、仮住まいとはいえ、ちょっとこのへんは改善しよう。

|

2006年7月 9日 (日)

マーケティング

 20代後半の女性について話そう。彼女とは知人を囲む食事会でたまたま同席した。彼女は未婚で、結婚したいのだが、なかなか結婚できないという話をしていた。彼女は「オレが引っ張って行く」系の「オレ様男商社マン」が好みなのだそうだが、いずれも上手くいかなかったそうだ。

 後日彼女を別の席でみかけた。彼女は、迷彩服調の服を着ており、酒によって赤い顔をしており、たばこをひらひらさせながら横に広く持ち、鼻から煙を吐いていた。
 彼女と話した雰囲気は頭の回転が速く、とても面白くていい子だとは思ったが、この姿はちょっと残念。たばこの持ち方と、タバコの煙の吐き方がイマイチで、横向きで友人と笑い合う姿が激しいので、「明るくてのりのいい子!」と言う事もできるが、清楚という雰囲気はあまりなく、これでは男は声をかけにくいだろうなあという雰囲気なのだ。
 
 もし彼女が「オレ様系商社マン」を本当に獲得したいのであれば、もうちょっとマーケティングに配慮して行動したほうがいいと思う。商社マンのどのくらいの割合がオレ様なのかは分からないが、オレ様男というのは通常すごーく保守的なものであり、保守的な男を落とすにはやっぱり清楚を演じたほうがいいんじゃないかと思うのだ。商社マンの嫁である友人がいるが、どちらかといえば外見は清楚なタイプである(中身は違うが)。また商社マンの友人がいるが、飛行機のスッチーとの合コンを好んでいた。だから本当にオレ様商社マンがよいのであれば、スッチーに体現されるようなタイプを装う方が適切だと思うのだが。

 但し彼女が本当に心の底からオレ様商社マンが好きなのか分からないし、彼女の飾らない素直なところがいいと思うので、私は放置するつもりだ。しかし何かターゲットがあるのであれば、どうすればターゲットを落とすことができるのか、考えてから臨んだほうが時間の節約になるし、効果的なんじゃないかと思う。

 更にあえて言わせていただくと、彼女のように、希望と行動が一致しない(オレ様商社マンが好きなのに、オレ様商社マンに好まれる行動が取れない)のは時間と労力の浪費であると思う。行動にホンネが現れるというのはよくあることなので、私は彼女は本当のところ、オレ様商社マンとは合わないのだと思う。彼女についてはもっと自分を分析し、自分に合った男をよく考えるほうが良いように思う。まあ所詮、おばさんの余計なお世話ではあるが。

P.S.ちなみにこの彼女のヒントになった人物はいますが、かなりディフォルメされており、好みの男も変更してあり、その見地からすると、この話はフィクションです。というか、人間関係が狭いので、あまり個人を特定するような噺はやめた方がいいと思うゆえ。噺の主旨としては、要するにマーケティングと、自分を知るということが大事だということを言いたいのでありまする。

|

2006年7月 8日 (土)

まあ、びっくり

 今日は午後から子供達のテニスに行った。約束の時間を20分過ぎてもコーチが来ないので電話したら、今日は試合で教室があることを忘れていたという。まあ、びっくり。
 仕方が無いので、プールで泳ぐことにしたが、家からそのまま持ってきた水着入れに息子の水着が入ってない。まあ、びっくり。
 仕方が無いのであたらに水着を買い、着替えて子供達は泳ぎ、私はサウナに入る。サウナから出て水着に着替えようと思ったら、ロッカーの鍵があかず、まあびっくり。
 今日はささいなことで運が悪かった、こういう日はマイナス思考が強くなり、いやーな気分になるのが関の山なので、あれこれ考えず早くねることにする。

|

2006年7月 7日 (金)

気分転換

 なんか、昨日は一日いい気分ではなかった。多分前日に「十和子塾」、ぢゃなかったW杯(同僚への言訳用)に興奮して睡眠不足だったせいだと思う。十和子塾の内容については、雑誌に掲載されていたものを纏めただけで、たいしたことはなかったんだけどね。でもきれいなので、うっとりと眺める。
 睡眠が不足すると、潜在的な悩みとか、他人と比べた場合の自分のちょっとした不幸(単に「隣の芝生は青い」ってだけなのに、ほーんと、馬鹿だよね。)とか、ちょっとした不満とかが頭の中で盛り上がってくるからいけない。多分生理が近いのだとも思う。

 こういう日は仕事の質が落ちるので、早く帰って、美容室で白髪染めをした。もちろん美容室は家の近所のローカル系。「2ヶ月前に染めたばかりなのに、もう落ちちゃったじゃないか」と言いたい放題言ったら、3時間も美容室で足止めされ(要するに液剤を塗ってから長く置く)、おなかが減ってきたので、頭を染めている状態のまま、となりのスーパーでつまみを買い込んだ。こういうラフなところが中国の良さだなあと思うが(もちろん、変な目で見る人は誰もいません)、よーく考えたら私に羞恥心がないだけじゃん。日本でも同じ事をやりかねない。全くこまったおばさんだ。

 美容室に着いた当初、凄く眠かったので、美容師に色合いを任せてしまったら、なんか髪の毛が赤系になっていてちょっと不満なんだが(本人は黄色系が好き)、野放しにしていた私が悪いので、一通り文句をいって矛を収めた。美容師は文句をこれ以上言われたくないので、けっこう気を遣ってくれて、「日本人はスタイルがいい」だの、「あんたは若い」だの言ってくれて、単純な私はこーんなことで機嫌を直して帰る。

 帰ったら日本に戻った友人からのメールが届いていて、「十和子さんの本にも書いてありましたが大切なのは気持ちです。もちろんフィジカル面でのトレ-ニングも大切ですが 若さを保つのは気持ちの占めるウィイトが大きいと思います。人生、嫌なことも含めていろいろなことがありますが”常に前向きな姿勢でいれば必ずいいことがある”と信じてやっていけば自然と若さを保てるでしょう。」とあって、とても感動した。そーだよー、楽しくやろう!

P.S.中国の美容室ってさあ、パーマしたり、カラーリングするときに、耳に黒い耳カバーをつけてくれるんだよね。まあ、親切でいいんだけど、日本で見慣れないから最初は抵抗がありました。

|

2006年7月 6日 (木)

夢と現実

昨日友人が出張で北京に寄ったので、「十和子塾」を貰った。ぱらぱらとめくったら、十和子さんが40歳なのにおばさん臭さがまるでなく、美しいので感動し、思わず「きれいだなあー。これで40歳とは!」と感嘆の声を上げてしまい、友人に笑われた。「やっぱりああいう世界を目指さなくっちゃ、彼女のような年上の女性が存在するならば、年をとるのも怖く無いじゃん」と思う。

今朝、早速DVDの十和子さんスキンケアシーンを見ていたら、スキンケアにかける化粧品やものの数が凄い。娘が「十和子さんは美人だから、スキンケアをしている甲斐があるように、他人に錯覚させるが、ブスがいくらがんばっても無駄だし、逆にこんなに化粧品を使いすぎるのは肌に悪いんじゃないか?」とか言い出した。全く夢のない奴である。(←「なんだ、あんたとそっくりじゃないか」と、突っ込みが入りそうである。) 私だって「ケアをすれば、美人になれる」という幻想を抱いて生きていきたいのである。(←「おいおい、現実を見ろ!」)

しかし考えてみると、例えば私の恋愛論など全く夢がないもので、全然娘のことを笑えない。もちろん現実を認識することも必要なのだが、あまり夢が無いのもいけないような気分になってきたので、(但し、何故いけないのか、イマイチよく分からないのだが)、少しは夢のあるふりをすることにする。

友人については、ある意味恥ずかしい本をわざわざ北京くんだりまで運んでくれたことに心から感謝している。とてもいい人だ。友人とは子供の教育の話しとか、よもやま話しをして楽しく過ごした。

|

ガードマンに注意

 昨日の新聞によると、6月末に、新興中級団地の「北苑家園」のマンション2階の部屋に、深夜開いていた窓から強盗が押し入り、家主であり住人の離婚した女性とそのボーイフレンドが殺された事件が発生した。なんと犯人はそのマンションのガードマン隊長で、この事件が発生する以前にも、そのマンションではこそ泥が発生し、物がなくなる事件が多発していたそう。ガードマンというのは、住民の安全を守るはずの存在なのに、このような事件が起こるというのは困ったものである。北京では日本程報道をヒステリックに捉えないから大きな問題にはなってはいないが、そのマンションの住民達は厳重に受け止めているようだ。

 外国人向け不動産については、不動産会社は安全にかなり気を配っていると思う。例えば日本企業が多く入居する日系のビル、発展大廈のガードマン達は北京戸籍の高卒学歴者ばかりである。「北京戸籍だから確実」というわけではないが、地方出身者の場合、地元が遠いので本当にそこの出身であるか身元が確認できないし、トラブルが発生しても逃げられて追求できなくなる。その点北京の人間の場合身元が確認できるし、トラブルが発生しても地元だから彼の人間関係を洗うことも可能で追求がしやすい。つまり安全である確率が高いのである。または外資系不動産については、軍隊出身者をガードマンに雇っているケースもある。軍役は2-3年であるから、その間の信用があるという意味だ。

 ところが中国人向けのマンションとなると、田舎から出てきた男の子達が、簡単な訓練を受けてガードマンになっているケースが多い。だからこのようなトラブルが発生する可能性もあるのだ。私は中国人向けマンションに住んでいるが、実際おととしには我が家のさくらんぼが皆田舎出身のガードマンに勝手に採られてしまっていた。だから窓を開けて寝る、家の鍵を開けたままにする、なんて中国ではとんでもないことなのである。

|

2006年7月 5日 (水)

地震

 昨日午前、会社でPCに向っていたら突然ゆれだし、地震だということが分かった。震源地は河北省の北京と石家庄の中間地点くらいの場所で、現地で震度5.5度程度であり、体感した感じだと北京での震度は3度くらい。

 北京では地震は1年に1回もない。同じフロアのスタッフは半数が日本滞在経験があったので、平常通り仕事を続けた。しかし日本経験がない女の子がびっくりしてキャーキャー言い出したのが、逆に怖かった。うちの会社の上のフロアは、日本滞在経験のない人ばかりなので、もちろん冷静に対処できる人もいたが、一部については驚いて1階まで逃げたのだそうだ。だから地震直後は、別の会社の人も含めて1階の広場が大賑わいだった。

 私が日本の教育が非常にいいと思うのは、防災訓練を行うと言うことである。娘は現地校で5年を過ごしたが、防災訓練は無かったらしい。2001年頃にテレビ番組で北京郊外の大型家具店で、予告なしに避難訓練をおこなった情景がテレビ放映されていたが、中国人客が口々に騒ぎながらみだりに走って迷っているのに対し、日本人はハンカチで口を押さえながら、冷静に歩いて行動していたのが印象的で、それがアナウンサーにより指摘されていた。やはり災害時にはパニックが一番恐ろしい。

|

2006年7月 4日 (火)

現地化

(30日目)お得意先と食事をした。日本人のおじ様1名と、中国人スタッフの皆さん4名で、わいわいがやがや楽しく食事をした。この日本人のおじ様は、非常に素直で正直でとてもいい。仕事は辛いことも上手くいかないこともあるので、まあ、こういう風に中国人スタッフと楽しみ、よい人間関係を作っていくのは、大事な事なのかなあと思った。このおじ様は、日本の中国室からの電話について、「やみくもに日本人につなぐのでなく、中国人スタッフに対応させ、日本本社と現地のパイプを作り、現地化を進めていくべき」と考えており、実践しているようである。それは正しいことのように思う。

|

2006年7月 3日 (月)

国際結婚と国内結婚

 先週空き時間にMIXIで母校(高校)のコミュニティーを見つけ、懐かしく思いながら見ていたが、私の昔の担任の先生について、他の方から思い出話が寄せられていて、この先生にこんな一面があったのかと面白く思った。私は「屁理屈をこねる、地味で暗い生徒(私の分析)」だったので、この先生に愛されず、いつも小言ばかり言われていたから、いい先生だなんてちっとも思わなかった。
 この担任の先生は今70歳以上のお年のはずで、若い頃にアメリカ人だかイギリス人男性だかと結婚して、離婚した経験をもっているのだが、ホームルームの時に同級生が「国際結婚にあこがれている」という話しをしたのを受けて、「ぜったいにやめなさい。欧米の男性は頑固で自分本位であるから。」という話しをしていたのが印象に残っている。語調の迫力が何ともいえなかった。私はそのときには「ふーん、そうか?」としか思わなかったが、今となっては、欧米人男性がどういう点で頑固で自分本位なのか、日本の男性とはどの部分が違うのかを突っ込んで欲しかったように思う。他人を説得するからには、その選択のメリットとデメリットを明確に話す必要があると思うからだ。
 私の友人で欧米人と結婚して離婚した人がいるが、友人から話しを聞く過程で欧米人男性の思考というものをある程度知ることができた。日本人以外の多くの国の男性というのは、妻も稼いで当然だと思っている。つまり妻にも経済力がある。社会(海外)によっては出産や育児で女性がグランクを取らずに済むようなシステムになっていたり、或いはブランクがあっても日本のパートのような低賃金に甘んじなくてもよいシステムになっているから、離婚が怖くない。妻に経済力があるということは、家の中で堂々としていられるし、自由なのでいいことでもあると思う。私の実家も国際結婚ではないが、母が稼いでいたので、母はたいへんだとこぼしながらも、友人と遊びや旅行に行ったり、いろいろ買い物をしたり、自由でかなり楽しそうだった。妻が経済力を持つと言うのは妻のためには非常にいいことだと思う。(まあ、私らにしわ寄せがきたけどね。)

 私のある知人女性は、国際結婚に敗れた後、日本人の男性と結婚し専業主婦になったが、婚約後はうって変わって、彼のために手料理の弁当を作ったり、彼の後に従がって歩くような女性に変身した。まあ、そのうち化けの皮をはがすのかも知れないが、彼女が料理好きだったとは思えないし、控えめな女性だったようには思えなかったから、結婚して夫に養ってもらうということは、こういうことなんだなあと思ったものだ。

 それでも「稼ぐ」という行為は辛いものなので、養ってくれる人がいるというのはとても幸せなことで、そういう意味で日本人の稼ぎのいい男は、女性から見て魅力的かも知れない。その見地からすると日本女性は稼ぎのいい日本人の夫を見つけた場合には、夫に養ってもらってもらえるし、それでも「ひも」とは呼ばれないですむので得だなあと思う。私の旧友などをみていると、実家のそばに住んで、夫に養われつつも、夫を尻に敷いていて、「あれが王道なんだなあ」と、私はうらやましく思ったりする。しかし彼女は彼女で不満があるようだ。

 まあ結論としては、今更ぐつぐつ言っても仕方がないし、まあ若い人に言いたいこととしては、自分の性格にあった選択をすべきだし、どんな選択をしても多少の不満はあるから、まあ楽しくやろうということだ。

|

2006年7月 2日 (日)

山へ行く

 北京の西郊外、清明時代の古い町並みが残っていることで知られる川底下村の奥の、黄草嶺に登ってきた。
下りは昔取った狐塚なので、いつでも楽にこなせるのだが、上りが最近の体重増加で辛い。20歳の時に購入した山用ズボンを着用しているが、20歳の時にはぶかぶか大きめサイズを購入したのに、今ではきつい。高校生の頃には30キロの荷物を背負って塔岳に登ったりしたが、自分の体重を支えるのに精一杯で、本当に体力が衰えたものだと思う。それでも頂上付近は草原になっていて、日光きつげに似た黄色いユリ科の植物が咲き乱れ、非常に美しかったし、昨日雨が降ったばかりだったので、山全体が潤っていて丹沢に来ているような錯覚を覚え、幸せな錯覚に浸った。
 
 

|

2006年7月 1日 (土)

中国人の芸

昨日は、得意先の社内送別会に参加した。送別される人の子供時代や現在の勤務状況のビデオが流れ、なかなかやるなあと感動した。また中国人スタッフも日本人スタッフも芸達者で、民族舞踊や盆踊りを踊ったりしている。すごい!

|

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »