何故いえないのか?
昨日は休日出勤もした大き目のお仕事が終わり、しかも「十和子塾」入手のお知らせが届いたので、解放感に溢れ、なんだかいい気持ちだったので、ブログも一杯更新した。今日も引き続きいい気分なので、またさくっと文章を書く。このエネルギーを仕事に向けろよと自分に突っ込みをいれたくもなるが、活字中毒なので仕方がない。
昨日は午後時間があったので、日本の日本人が書いているブログを見てみた。面白いと思ったのは「どういうスタンスでつきあっているのか未定の彼氏とSEXをするときに彼氏がコンドームをつけてくれないが、つけてと言えない」とか、「SEXLESSで不満があるが、それを相手に言い出すことができない」というもので、昔から在日日本人と言われ、現在はちょくちょく中国人に間違えられる私としては、何故そーゆー事がいえないのかということが良く理解できない。
すごく過去のことになるが、私は自分が好きなので、そーゆー話しはしてきたタイプである。男女関係なんて温度差があると後々トラブルの原因になるから、どういうスタンスで付き合うのかというのはお互いに言葉で確認しておいたほうがいいと思うし、中絶が心の傷になっている友人がいるので、そーゆー原因になることは避けたほうがよろしいと思う。
SEXLESSにしても不満がないならほおっておけばいいし、不満があるならとっとと話し合った方が気楽だと思う。 相手の意見を聞かないと現在の現象を判断することができないし、宙ぶらりんの状態は不安だし、時間の無駄である。判断には離婚するとか、世間体のためにこのままいくとかがあると思うが、人生は短いので離婚するなら早いほうがいいし、続けるにしても割り切りがあったほうがどちらかというと快適である。
男女関係に限らず、「言葉にする」ということは、状態を決定的にすることである。私は状態を決定的にするほうが合理的でいいと思っているから、なんにせよ、そういう風に物事を進めてきた。特に中国で仕事をする場合は、皆にそれぞれ意見があるから、根回しをしても意見がまとまらないことがあり、逆に「声を大にして合理的な意見をいうものの勝ち」的な部分もある。だから中国人は声が大きいのだと思うし、しらずしらずのうちに、私も声がでかくなっているのだと思う。
但し、私と違って、相手の出方をみて自分のスタンスを決めたいような人は「言わない」のだろう。日本のムラとか会社とかでは、狭い範囲で人間関係がごちゃごちゃするから、その方が得することが多いのではないかと思う。つまり日和見なものが得するんである。だから多分そうーゆー部分を使い分けることができれば、人間関係が旨く渡れるのではないかと思う。
但し1対1の男女関係については、若い人たちにははっきりさせるほうを勧める。1対1のことなのだから、言うことで損をするということは殆どないような気がするからだ。
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