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2006年5月31日 (水)

何故いえないのか?

 昨日は休日出勤もした大き目のお仕事が終わり、しかも「十和子塾」入手のお知らせが届いたので、解放感に溢れ、なんだかいい気持ちだったので、ブログも一杯更新した。今日も引き続きいい気分なので、またさくっと文章を書く。このエネルギーを仕事に向けろよと自分に突っ込みをいれたくもなるが、活字中毒なので仕方がない。

 昨日は午後時間があったので、日本の日本人が書いているブログを見てみた。面白いと思ったのは「どういうスタンスでつきあっているのか未定の彼氏とSEXをするときに彼氏がコンドームをつけてくれないが、つけてと言えない」とか、「SEXLESSで不満があるが、それを相手に言い出すことができない」というもので、昔から在日日本人と言われ、現在はちょくちょく中国人に間違えられる私としては、何故そーゆー事がいえないのかということが良く理解できない。

 すごく過去のことになるが、私は自分が好きなので、そーゆー話しはしてきたタイプである。男女関係なんて温度差があると後々トラブルの原因になるから、どういうスタンスで付き合うのかというのはお互いに言葉で確認しておいたほうがいいと思うし、中絶が心の傷になっている友人がいるので、そーゆー原因になることは避けたほうがよろしいと思う。

 SEXLESSにしても不満がないならほおっておけばいいし、不満があるならとっとと話し合った方が気楽だと思う。 相手の意見を聞かないと現在の現象を判断することができないし、宙ぶらりんの状態は不安だし、時間の無駄である。判断には離婚するとか、世間体のためにこのままいくとかがあると思うが、人生は短いので離婚するなら早いほうがいいし、続けるにしても割り切りがあったほうがどちらかというと快適である。

 男女関係に限らず、「言葉にする」ということは、状態を決定的にすることである。私は状態を決定的にするほうが合理的でいいと思っているから、なんにせよ、そういう風に物事を進めてきた。特に中国で仕事をする場合は、皆にそれぞれ意見があるから、根回しをしても意見がまとまらないことがあり、逆に「声を大にして合理的な意見をいうものの勝ち」的な部分もある。だから中国人は声が大きいのだと思うし、しらずしらずのうちに、私も声がでかくなっているのだと思う。

 但し、私と違って、相手の出方をみて自分のスタンスを決めたいような人は「言わない」のだろう。日本のムラとか会社とかでは、狭い範囲で人間関係がごちゃごちゃするから、その方が得することが多いのではないかと思う。つまり日和見なものが得するんである。だから多分そうーゆー部分を使い分けることができれば、人間関係が旨く渡れるのではないかと思う。

 但し1対1の男女関係については、若い人たちにははっきりさせるほうを勧める。1対1のことなのだから、言うことで損をするということは殆どないような気がするからだ。 

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2006年5月30日 (火)

くだらないとは分かっているが

 くだらないとは分かっているが、今日は君島十和子さんのお誕生日にして、「十和子塾」の発売日である。アマゾンの売れ筋を見たら、「十和子塾」がダビンチコードを抑えて堂々の売上一位になっていた。すごいことだ。

 私も6月上旬に出張で来る友人に「十和子塾」を頼んであり、アマゾンには反映されないが、売上げに貢献している。友人はとてもまめなので、先程早速「購入しました」メールをくれ、私はなんだかにんまりしてしまった。この友人は丸の内勤務でないし遠慮がない関係ではないので、さすがにサイン会までは頼めなかったが、十分にありがたいことだと思っている。

 十和子さんと私ではつくりが違うので、彼女の化粧を真似ようとは思わない。私が「十和子塾」を買うのは、彼女が日本一のコスメフリークで、マイワールドを作っているところを評価しているからであり、その濃厚な世界を味わいたいからである。つまり及川光博を好むのと同じ理由で、私は発信されている彼女像を好んでいる。

 十和子さんも相当なオタクだが、かくいう私も相当なオタクで、紙細工が大好きなので、自宅の居間は紙細工ばかりであり、ついでに一銭の得にもならないブログを書いている重症の活字中毒者であるが、どちらも彼女のように突き抜けた存在になっていないことを残念に思っている。

 ブログは恩師の島田裕巳先生に薦められて始めた。島田先生は私の人生に転機を与えてくれた人なので、先生の薦めてくれることは、なるべく試してみ、その上でその価値を図るようにしている。島田先生に限らず、他人の言うことは案外当たっているので、発言に裏がなさそうだと思ったことについては、取り入れるようにするのが私のスタイルである。ブログも「何のために書いているんだか分からない」とぼやきながらも、なんだかんだ書き続けてきて、今振り返ると昔に比べて文章は上手くなっているし、自分が活字中毒だということがはっきりしたので、よかったんじゃないかと最近は思っている。

 ブログについては、見てもらうことでなく書くことが目的なので、友人に通知するのも途中でめんどうになって放棄しているし、どなたが読んでくださっているのか分からない。しかし先日意外な人(後藤さん)が読んでくださっていることが分かってびっくりし、恥ずかしく思った。まあ、なんというか、こんな駄文をありがたいことである。基本的に自分が書きたいことを書いていくので、読んで下さっている人のことなんて、お構いなしだし、楽しませることができているとは思えないが、少なくとも自分が楽しくなければきっと他人も楽しくないし、多くを望む必要もないと思っている。でもせっかくなので、「文筆界の君島十和子さんを目指します」とかいい加減なことをいっておく。

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おやじの夢

 「告発とコンプライアンス」でも書いたが、昨今中国の外国人が中国人の名義で店をもつということが増えている。「店をもつ」という目的のために店をつくり運営にまで携わっている外国人オーナーも多いが、日本人の駐在員が愛人のために投資し、愛人に運営を任せているケースも多いらしい。

 南の方である会社の総経理が愛人に投資して日本料理店をやっているケースを聞いたことがあるし、北京でもある駐在員事務所の所長がホステスの愛人に投資して、愛人が店から独立して店のオーナーとなったという話を聞いたことがある。

 後者の店は、その所長が帰任するまでは、所長の個人的集まりはすべてそこでやっており、儲かっていたが、帰任してからはとんと噂に聞かなくなった。私は女なのでスナックには興味がないので、この店がどうなったのかは分からないが、所長の帰任で愛人とは縁がきれてしまったろうし、所長の友人も今ではそう多く残っていないから、太いパイプを失い、儲からなくなってきていると思われるし、おおかた転売されてしまったのであろうと思う。

 先日日本に帰任が決まった駐在員のおじさんとご一緒したところ、おじさんが「退職したら若い中国人の愛人を作り、愛人に任せてスナックでもやりたい。」と夢を語っていた。本気半分冗談半分だろうから、いいかげんに笑い話として楽しんで終わりにしてしまったが、おじさんたちに夢があるため店をもつのか、それとも愛人にせがまれて店をもつのか、という点がやや気になるが、多分私は後者じゃないかと思っている。

 中国では日本人の夫をもつ中国人妻が、「離婚した時の慰謝料だと思って」と言い夫に出資させ、自分の店を持ったり、自分の事業を始めることがあると、何度か聞いたことがあるからだ。

 まあ、夢をみるのは悪くないことだ。

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クレジットカード

 今日は午後に、日本企業が多く入居しているビルに届け物をしたのだが、1階のフロアのところに日本人会の方がデスクを置いて、会員募集と更新手続きをしていた。商工会も日本人会も世話になっているし、お付き合いなので払うものを払って入会するべきものだと思うが、今日もそうだがいつも持ち合わせがないので、入れないでいる。日本人会の担当者は記憶がよく、私が昨年度入会していないという指摘をしてくれた。ふーん、そうか。ばたばたしていたので、入会していたかどうかについてすら忘れていた。

 私は普段は現金を持ち歩かず、カードを使うようにしている。とってもせこいが、2005年にカードを一定以上利用すると抽選で香港デズニーランドにご招待というのがあって、それに目がくらんだのと、カードだったら何につかったか明細があるので家計管理に便利なのが、カードを使い始めたきっかけだ。ちなみに中国のカードの多くは、銀行に残高がある分しか利用できない形になっているので、カードを使いすぎてもマイナスになるまで使えないし、それゆえカード地獄に陥る心配がない。私はスタバでコーヒーRMB12元を飲むのにもカードを使っちゃったりする。中国ではまだカードを持つという習慣が欧米よりは普及していないが、私のようにお財布代わりにしている人もちらほら見受けられる。

 カードを使う理由には、上記だけでなく、銀行からの現金引きおろしが面倒という面もある。銀行にいくといつも並ぶし、大量におろそうと思っても制限があっておろせない場合がある。そして登記やシステムの問題で、カードや小切手では絶対に決済できないケースがあって、それは例えば日本人会の会費だったり、タクシー代だったり、子供の塾や学校の雑費だったりするのだが、そういうのに現金をつかってしまうので、必然的に現金が不足してしまうのだ。だからなるべく日常生活でカードが使える場合にはカードを使うようにしているのだ。

ということで、今日も日本人会にはいれなかった。ごめんなさい、○○さん。気持ちはあるんですよ。 

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2006年5月29日 (月)

リスクについて知っておくべきである

 以前連載で「告発とコンプライアンス」というお題の記事を書いた。ある日本人オーナーが中国人名義で店を持ち、その店で働いていることが、告発され、オーナーはZビザ(労働ビザ)をもっていなったから違法のかどで罰金されたという話しだ。

 実は中国では外国人が中国人の名義で店をもつということが結構ある。何故中国人の名義にするかというと、レストランの投資基準が違うからだ。中国人名義で店を開く時には投資総額100万ドルを支払う必要がなく、大きな投資をしないでいいという点でリスクを回避できるが、名義人に店を乗っ取られるとか、Zビザが入手できないことが多くそれが告発され取り締まられる可能性があるというリスクもある。

 外国人が中国人名義のお店をもつ、というのは確かに違法なことで、違法だから本当はやるべきではないのだろうが、だからといって「やるな」と私は言いたいのではない。当事者がリスクを承知しておく必要があり、覚悟しておく必要があるということである。それに違法なのだから他人に勧めるべきではないと思う。

 あの連載記事は、「中国人名義で店をもつ」というコンサルタントをしている人がいるらしいという噂を聞いたこともきっかけになっている。コンサルタントをするのは自由だが、違法なことを勧めてその結果店を乗っ取られたり、事業が旨くいかなかった場合、コンサルは責任を取れるのであろうか? 少し前に大使館の人から「ここ数年、中国で日本人が日本人を騙すと言う話しが寄せられることが多くなっている。」と聞いているが、中途半端なコンサルや、中途半端な紹介がこのような事態を招いているのかも知れないと、想像している。

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2006年5月26日 (金)

オーダーメイドか既成服か?

 少し前になるがある会合に参加したところ、知人の若い女性が色彩の明るい中華スタイルのお洋服を着ていたので、「今日は、素敵なシノワズリーのスーツね! オーダーメイド?」と声をかけたら、「オーダーメイドなんだけど、日本製のスーツを渡してこの通りに作ってって、依頼したんですよ。つまり決してシノワズリーではなかったのだけど、、、、。」といわれてしまった。がーん!!!失言してしまった。そういうおばさんちっくな性格はもうやめたいものだが、おばさんなので仕方が無い。(笑)

 しかし彼女はとてもいい方なので「中国のオーダーメイドって、中華風に作れって言ってないのに、中華テイストになってしまう」とコメントしてくれた。確かに日本のスーツだと、すそが通常それほど広がらないつくりになっているものだが、彼女のスーツは心なしかパンタロンのすそが広がっていて、なんとなく中華なのだ。但し彼女によく似合っていて、いい感じではある。

 中国に赴任したばかりの96年に、私の勤めていた会社の関連会社にオーダーメイドの店があったので、中国のその店で制服を作った。まあその店のレベルがイマイチだったのだと思うが、私もへんに見栄坊なので、ウエストを採寸するときに、条件反射的に力を入れてウエストを引っ込めていたりとかしたこともあって(そーゆーとこ、何とかならないものかと思うが、どーにもならない。)、出来上がったものは私より一回り小さいものだった。それで作り直したのだが、作り直したせいで製品品質を落とされたのかも知れないが、洗濯機で洗ったら黒い色が落ちてタオルやTシャツが染まってしまうわ、制服自体もよれよれになってしまうわで、ろくなことがなかった。そーゆーわけで、オーダーメードは私は勧めない。

 私を知る人は分かると思うが、私はほーんと標準体型なので、店に行けば必ず私のサイズの服がある。中国の商店は日本の商店よりも寛大なので、着たい放題試着して挙句の果てに何も買わなくっても誰も文句を言わないし、逆に試着しまくっているとお客さんが集まってくるので、試着は歓迎されている部分がある。だいたい80%くらいの売り子は服を売らんがために、「スタイル抜群ですねえ、あなたによく似合っている。」とか言ってくれるので、服をとっかえひっかえしながら、頭は妄想モードになり、モデルになった気分で、「ふふっ、私ってまだまだいけるわね。」と思いこむ瞬間がたまらない。

 でも20%の中国の売り子は冷静なので、私が服を試着しながら、「上半身がちょっと大きすぎるー!」とコメントすると、「あんたは下半身が太ってんだよ。」という鋭い突込みが入り、その瞬間に妄想が解けて、そそくさと自宅に戻ったりしている。

 たまにこういう風に水を差されるが、まあ試着が楽しいので、私としては決してオーダーメードはしないんである。

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操作に慣れない

 夜中目が覚めてしまって眠れなかったので、記事を2本書いた。操作になれず1本目の記事の上に、2本目を誤って記入してしまい、1本目の記事が全て消滅してしまった。「あらまあ、残念」(笑)。

 まあ、私の場合、自分のために書くことが目的なので、とりあえず自分は書きあがったものを見ているので、それも良しとしよう。でもちょっと悔しいので、一言書いて負け惜しみをいい、忘れることとする。おやすみなさい。

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牛乳メーカー伊利に思う。

 あまり日本のマスコミでは注目されていないようだが、私は中国の大手牛乳メーカー「伊利」にかなり注目している。中国の大手牛乳メーカーには「蒙牛」と「伊利」がある。ともに袋入りのロングライフミルクを主導製品としていて、ここ5年くらいの間に広告宣伝を活用してのし上ってきている。

 この伊利に昨年8月頃大きな事件が発生している。幹部がぐるになって帳簿を誤魔化し不正な利益を得ていたことが摘発されたというもので、その裁判の結果が写真入で地元紙に掲載されていた。昨年の初め頃まではスーパーなどで伊利製品の促進販売がかなり積極的に行われていたが、なんとなく伊利製品を見ないなあと思っていたら、そのような事件が発生していたのである。

 同じ乳製品業なのでついつい日本の雪印事件を思い出すが、日本の雪印が食中毒事件を契機に管理問題を問われ、日本の消費者の反発を受けてたちまち倒産してしまったのに比較して、伊利は現在も健在で、逆に以前よりもお盛んである。北京オリンピックの公式スポンサーということで、雑誌やら、幹線道路沿いの立看板やらに、その旨を宣伝した広告を見かけるのである。

 何故、伊利がスキャンダルの影響をあまり受けていないのかと考えてみた。これはあくまで私の推定である。

①は国営企業だから、不祥事が起きてもあまりそれが大きくは宣伝されなかったのでは?

②国営だからそのコネクションでオリンピックスポンサーにもなって、挽回できているのでは?

③「A:発生した問題が食品の安全問題でない」「B:幹部の腐敗問題なんて、摘発されないだけで中国ではいくらでも発生していた」の2つの理由により、消費者が大きく反発することがなかったのでは?

とはいえ、日本の雪印事件との結果の違いがあまりに大きいことがなんとなく不思議な気がする。また考えすぎかも知れないが、上記3つの条件から、「もしかすると、コネクションの強い現在の幹部をトップにするために、どこにでもある腐敗問題が摘発され、その影響を最小限にとどめる方策が採られ、トップの交代を実現したのでは?」というストーリーが頭に浮かび上がる。伊利の現幹部は実は凄腕なのではないかと私は思っている。これからの蒙牛とのシェア争いを得と見物することとしよう。

昔恩師に「原は現実主義者で想像力がないから、小説は向いてない」といわれたことがあるが、実はそうでもないじゃん。

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2006年5月24日 (水)

中国のペット事情

 私が中国に来た1996年当時は、まだ北京も貧しくペットを飼うことが珍しかったが、最近では多くの家でペットを飼うようになってきたし、ペットを飼うことが公認されるようになってきた。それと同時にペットによる環境汚染、つまり散歩でウンチをしたまんまとか、猫屋敷の問題とかも発生するようになっている。わがマンションでも同様で、敷地内はウンチだらけなので、ボール投げをしていたら、命中してしまって、とても嫌な気分だった。こういった環境汚染を防ぐために「ペット条例」という法令が出来たらしい。夜中に吼えて迷惑をかけたら罰金とかになるそうな。

 中国ではペットの猫や犬が失踪してしまうことが多い。神隠しのように、あっという間に失踪してしまうのだそうだ。そういうときにささやかれるのが「ペット泥棒説」で、中国にはペットを転売して儲ける輩がいるらしい。つまりペットは売るときは結構高価なのだ。まあ、人間の誘拐も地方ではあるのだから、あってもおかしくはないと思う。だからマンションの敷地内には「たずね人」ならぬ「たずね猫」のビラを見かけることも少なくない。

 「たずね広告」については、もちろん猫や犬だけでなく、人間の広告も多い。90年代前半までは精神病にかかる人はそう多くなかったが、最近では競争社会のためか、精神をおかしくする人も増えていて、精神状態が尋常でないまま失踪してしまった経緯などが書かれているビラが貼られていることがある。また痴呆老人がどこかへ行ってしまう事件も少なくないらしい。中国は大陸で社会的に混乱しているので、猫にしても人にしても一度見失ってしまうと、探し出すのが難しいようだ。

 「身近な存在がどうなってしまったか分からない」というのは、親族にとっては想像に押しつぶされ、しかし自分は何もできないという意味で、とても苦しいことに違いない。

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2006年5月23日 (火)

一言いうか、いうまいか?

 友人のブログに御題に合わせて下らないことを書き込んでいるが、ドラマ「大奥」が話題になったときに、「正室側室の争いの間に、着物を着たあんたの高笑いが聞こえてきそうだわい。」と返答を頂いた。

 私は10年間も女の園にいたので、女同士の難しさは熟知している。但し争ってまで得ようと思うくらいの男はいまだ目にしたことはなく、争ったこともない。ちなみに、そんないい男にいつか見てみたいもんだとも思う。
 
 そーゆー話しは置いておいて、多分相手がやくざとかでない限り、私は売られた喧嘩は買っちゃうタイプだと思う。喧嘩というほどのことでもないが、道理の合わないことをされたら、黙っていないで一言返すと言うことはよくある。

 中国で気をつけていることが、おかしいと思ったら、その場で「これって、ちがうんじゃない?」とコメントすることである。後になると、とぼけられちゃうものだし、言うことは言っておかないと、このままでいいのだと勝手に誤解されてしまう。

 私の知人のある現地採用の女性は、私とは逆に、他人に対して強い意見を述べられないタイプである。彼女は中国人スタッフを管理する職位にあるが、適時強いことをいえないので、部下は仕事をせず、結局部下のすべき仕事を自分でやってしまっていたりする。私とは全く違うタイプだが、それはそれで、そうやって流していくのも、中国での生存方法の一つなのかなあとも思ったりする。

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